学校法人 大川学園
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地域興しに懸ける菰野町の人々

 6月8日(日)には、菰野町郷土研究会に呼んでいただいた。この地の文化と歴史研究の講演会は私の時点で488回目。代表幹事の中村さんが50年前に私が出版した『鈴鹿山系の伝承と歴史』(新人物往来社)を読んでいただいたご縁である。

 読まれた本は、私が御在所岳中道の登り口にあった山小屋の主人佐々木氏に贈呈したものであった。主が亡くなって、何時もそこに出入りしてみえた世界の岩場ガイドで知られる増井氏に渡ったものを中村氏が借りて全ページコピーを取って読んでいただいての依頼であった。

 今回の演題は著書と同じ故、山系中の峠を越えて戦国末期の天下取りや危機時退路に利用した…信長・秀吉・家康その他佐々木氏や島津氏の姿を語らせてもらった。聴講いただいた方の中には先の増井氏や御在所ロープウエーの森氏も参加してもらっていた。結局、10時からの講演後、昼食を始めあちらこちらとご一緒し、最後は湯の山温泉街の町興しを依頼され奮闘中の森氏の昭和再現店や改造中のライブステージ場と廻り…近鉄湯の山駅まで増井氏に送っていただいて津に帰ったのは16時を過ぎていた。現在も次を見据えて尽きぬ夢を求め続ける若き時代に縁を得た皆さんとの実に楽しくも充実した一日を過ごさせてもらった。

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南海トラフで消えた津を追いかけた仲間の再会 ~令和7年6月7日(土)~

 32~33年前“安濃津研究会”の名称で歴史や文化…津のルーツを探ろうと、20名ほどの20~40歳代が集まって、明応7(1498)年の南海トラフ地震の大津波で消えた“安濃津”の街探しをしていた。今回はその仲間14名が津市内大門“茂波”に集まった。

 この会の発足は、村山さんが主宰する『津の本』の構成員とその執筆者が津市白塚のヤーヤー祭り(やぶねり)当日に、祭り地の編集員宅に集まった。そこにオーストリアに居た三重大学人文学部の目崎茂和先生から電報が、“明応7年の大津波で消えた安濃津、それから500年…今動くべし”といった内容で届いた。津市役所若手職員で郷土の文化の勉強を始めていた“土曜研究会”にも声掛けし、結成された20名の研究会がここに動き始めた。 

 ジオスライザーという地質調査機器を広島大学から借りての地震地層調査、新潟大学他からの地震研究学者を招聘しての講演会、海の博物館長を始めとする講師陣でのシンポジュウム、安濃津研究特集本も出版、更には八幡神社を核とした津祭りの絵図巻物をニューヨーク美術館から借り入れ三重県立美術館で展示、と発展させた運動だった。今回は当時の20名の会員中14名が集まったが、歴史と文化を今も消し続ける津市は何とかならないかとの悩みも出た。

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誕生会に参加して振り返ったこと

 今年(令和7年度)は年2回ずつ幼稚園や保育園のお誕生日会に参加させてもらうことになった。まずは津西幼稚園で5月20日に開かれた誕生会に参加である。

 最近私はお友だちが目をきらきらさせて見てくれるマジックを披露している。現役の最初のころは、高校時代に覚えたギター演奏で皆と童謡を歌っていた。しばらくして動物漫画を訓練し、童謡の題材に合わせた絵を描いて(ブログのスケッチのところに掲載)それで歌の題をあてっこして3曲ギターを奏でた。ある時、「またギター?」との声が出た。そこで時には違うものをと訓練を始めたのがマジックであった。当初は総て見破られつつも…それが歳を重ね、次第にマジック披露が多くなって、今日に至った。

 思い起こせば、登山をしたときに必ず山のスケッチをするようになったのもこの子たちのお蔭だった。園児がザリガニを描いていた横で私も描いた時、園児の生き活きした描き方と出合え、それ以来私の一番好きな登山時に1時間スケッチをすることにした。

 折り紙も園児が「鳥折って!」「じゃー鶴折ろう」「鶴と違う鳥がいい!」、そこでお母さんも先生も追えない鳥の折り方を練習した。それらが総て今は私の特技となった。久しぶりの誕生会に参加してふと思い起こしたことである。

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現在の耕地整備に導いた学者

 5月10日(土)、久居アルスプラザで久居ロータリークラブ創立30周年記念講演会が開かれた。筑波大学石井敦教授による“上野英三郎博士の偉業”が拝聴したくて訪れた。

 日本の稲作に欠かせられない三重県出身の学者について、東畑精一博士は40年前頃から知っていたが、上野博士は忠犬ハチ公で有名になった学者程度の認識だった。しかし今回の講演で、耕地整理法とその土木事業に取り組んだ人と知った。三重県の食文化を追いかけてきた者として不覚。

 大学時代の長期休み、部活の合宿を終えて帰郷した際、一志地区の田の区画整備のレベル持ちのアルバイトもした私であった。上野博士は明治期から水田の大型区画と灌漑・排水の研究のみならず、その実践指導で今日の農業大国日本を築いた…欧米にもない時代の唯一の方と初めて知った。明治35年発刊の灌漑排水の研究教科書『土地改良論』をはじめ、『耕地整理講義』『溜池築造法』『農地測量学』他も紹介された。講演は実に丁寧で、内容は深いはずなのに非常に理解しやすかった。おまけに上野博士の人柄まで伝わった。

 本来駄目なのだろうが、ついつい説明用映像をスマホに写させてもらい、帰ってペーパーにプリントして復習…このようなことをしたのは初めてだった。

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久々のシャクナゲ山散策

 “昭和の日”の4月29日、知人から「シャクナゲを見に行かないか」との電話が入った。日本ツツジ・シャクナゲ協会の会長をされたこともあり、季刊誌『ロードデンドロン』にも毎号投稿されているその人の育てているシャクナゲ山に10年ぶりに出掛けた。

 平成22年にここの太くなった杉を切るというので30本ほどいただき、幼稚園専用の里山“安濃の里山オズ”に大型遊具を作ったことがある。私はここ5年ほどの体調不調で登山に行けない身体になったため、すっかり近くにあるこのシャクナゲ山のことを忘れていた。自然生えのようにだが所狭しと植えられた木々。お蔭で訪れた私を満足させてくれた。日本のみならずヒマラヤや欧米も回って自ら世界各地の品種を集め、協会員とも交換して仕入れた木々だけに…採取時や植樹時のエピソードも含めての説明を聞きながら回って、気付けば3時間半もそこにいた。

 帰りに花を付けた3・4種の枝をいただき、床の間とか居間でなく、我が家の新仏を祀った仏壇に供えた。

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御遷宮の話

 4月23日(水)に、伊勢新聞政経懇話会が開かれた。講師は歴史街道構想委員会でもご一緒した現在皇學館大學非常勤講師をされている千種清美氏。今回の演題は「神宮式年遷宮にみる持続可能とは」で、前回のご遷宮で三重テレビの10回に亘る特集脚本をはじめ、神宮関連で大活躍の方である。神宮関連の私の情報源は、従来は初代五十鈴塾長をなされた元神宮禰宜の矢野憲一氏だったが、今は千種氏の発表された著書といえる。

 今回の話では、常若(とこわか)の神宮だが、遷宮での継承は時代に合わせて“変わることで継続”されている事例に目から鱗であった。講師の話の途中…前回の外宮の御遷儀に、故服部幸應先生と最前列の特別席に座らせていただいたことをふと思い出した。松明の香り…絹垣に守られた御霊が神職の皆さんの玉砂利の踏み音と共に通られた神気極まりない一瞬である。千種講師の講演内容の深さは、それほど私に伝わるものがあった。

 講義が終わって挨拶させていただくと、出版されたばかりの『伊勢神宮 式年遷宮参拝ガイド』(ワニブックス)をいただいた。前回は御神木の川曳きもご一緒させていただいたが、今回は千種氏のさまざまな神宮関連の著書を幾度も読ませていただくことになるだろう。

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奈良の旅

 令和7年4月6日(日)津南ロータリークラブの家族旅行で奈良を訪れた。津市を出るころは怪しげな天候だったが、奈良県に入ると太陽が迎えてくれた。最初に訪れたのが久々の薬師寺。中門をくぐると美しい東西の塔と金堂がどんと迎えてくれた。何時も楽しく聞かせる法話…写経用紙をお布施代わりに2枚求める。

 次は桜満開の奈良ホテル。ここで昼食…本館玄関を入った吹き抜け格天井のその場所で“旧三重大学学芸学部にもこの雰囲気があったのに、壊して津庁舎になったね”と私の眼の主治医と残念がった。ホテルを離れて次訪れたのは名庭園の依水園。ここの氷心亭で抹茶をいただき、ゆったりまったり…庭園の向こうに東大寺大門の屋根と春日山?…十二分に奈良を感じて温かな日差しを浴び、心豊かな旅を満喫させてもらった。

 本企画担当の親睦委員会の皆さんには、私に何かと気遣っていただき…感謝・感謝の一日となった。

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80歳を超え、忙しさは活力の原動力

 2月末から急に外に出始めた。2月28日に東京…これは料理研究家服部幸應先生のお別れ会である。服部先生が全国調理師養成施設協会会長に初めて成られた時、乞われて副会長に就任し4年間、ある大きな課題解決までの間引き受けたご縁でもある。3月2日はボサノバの小野リサさんのコンサートで鳥羽国際ホテルに。16日には女性合唱団“蔦の会”のコンサートに津アストプラザ、23日は多気郡にある巨大商業施設のVISON(ヴィソン)に…何れも食事を伴った外出である。一方で、3月は修了式・卒業式が連日で、大川幼稚園や津西幼稚園そして久居保育園の修了式や三重調理専門学校の卒業式と続いた。半年前にはどん底に落ち込んでいた私だったが、一気に気力というか活力が湧いてきた。

 80歳を超えても外に出ることがいかに大切かを感じ取った月となった。

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楽しい思い出づくりバイキング

 令和7年3月7日(金)は、年長児のためのバイキング給食。給食の方々は早朝から準備。11時15分から担任のお話が始まるので、2階のホールに顔を出す。バイキング給食のルールの話があり、20分からお皿を持って、前列に並んだ色とりどりの20種類ほどの料理を笑顔いっぱい…目はきょろきょろ…好きなものを指定して自分のお皿に載せていく。11時35分「いただきます」で、一斉に箸をつける。最初は隣や前の席のお友だちと幾分声をおとしてのお話だが…お替わりタイムからは次第に声は大きくなり…やがて発表会での演目のアラジンの曲に合わせて大声で歌いながら…幾度も追加の料理を取りに行く。4 回目とか5回目と、実によく食べ、よく話し、はずんだ歌声が続く。

 12時30分頃、“これが最後のお替わりタイム”の声が…デザートのみならず料理に並ぶ友だちもいる。45分に少しお腹休めタイムとなって、さて、私からの皆へのお礼のプレゼントのマジックを幾本か…13時10分にみんなで「ごちそうさま」となる。毎年楽しい幼稚園での思い出づくりバイキングが今年も終わった。

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津市久居のアルスプラザで20周年記念

 令和7年2月20日、久居保育園と津市久居老人福祉センターによる開設20周年記念式典が津市久居の“アルスプラザ”で開かれた。経営母体は大川学園の姉妹法人、社会福祉法人自由学苑福祉会である。

式典のオープニングは、圧巻の二十五弦筝曲演奏に始まった。演奏者は国際交流事業他で世界各地を飛び回る、津市出身で東京芸大卒の中井智弥氏。続いて、大川将寿理事長からの挨拶、そして前葉津市長や青木謙順県議から祝福の言葉をいただき、最後に久居保育園年長児の鼓隊演奏が披露された。

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 20日の14時40分からと翌日12時30分からは老人施設各講座生による3B体操・音楽療法・詩吟・のびのび歌おう・エアロビクス・フラダンス・いきいきヨガ・いす体操・マジック等、高齢者が健康と生きがいを求める講座発表で、いずれの講座も思いっきりのパフォーマンスで楽しんでの笑顔出演。展示スペースでは、ロマンドール・和紙美術折紙・伊勢型紙・俳句・陶芸・四季色彩・デジカメで撮ろう及び久居保育園園児作品の展示。2日目の午前は、久居保育園生活発表会で、0歳から5歳が順次出演…“歌とお返事”の0歳児クラスから始まり5歳児のミュージカル“孫悟空”まで、舞台を総て使って…それぞれの成長を表現してくれた。

 この会場での20周年事業は、オープニングから終了までの2日間、常に7~8割の席が埋まっていて、その関心の高さも出演者の素晴らしい発表に繋がったと感謝している。園児も高齢者も生き生きとした最高のパフォーマンス…実に素晴らしい20周年となった。

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