学校法人 大川学園
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鎌ヶ岳から御在所岳そして裏道

 611日、天候もまずまずで、おむすび3個と卵焼きをザックに入れ、鈴鹿山系に出かけた。鎌ヶ岳の登りで、幾分遠いがカッコウの鳴き声が聞こえ、奥高野の山で時々迎えてくれたことを思い出す。山は緑の深みを幾分増し、そこに時折ドウダンツツジだろうか真っ赤な可愛い花が残って、実にさわやか。

何時も30年前の実に重い革の山靴2足を交互に履いて登山をしてきたのだが、加齢での体調の弱体をカバーするに求めた春の雪山も対応する軽量山靴の、その足慣らし登山である。ザックも48㍑だが一番軽いものに変更して背負ってきた。共に科学の進歩を体感する装備で、感心しつつ鎌ヶ岳から引き返し、御在所岳に向かった。太陽も顔を出しさわやかな風と心地よい気温ゆえ山頂レストハウス前の広場でゆったり時間を取り、ひと眠り後、裏道を下山した。

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鈴鹿の山の炭焼き

三重県山岳連盟の自然保護委員会による「里山の整備と利用を考える“炭焼きを体験”」が開かれた。『鈴鹿山系の伝承と歴史』を執筆した時、山と関わる古老からの聞き書きをしなかったことも有り、友人を誘って参加した。

講師は、朝明茶屋の奥井益夫さん。菰野町千種には、今は専業の方は一人だが、戦後間もない頃百軒ほどが焼いていたという。この地域は「カシスミ」で、根の平峠からは伊勢谷へケーブルで下ろしていたという。一方で、杉峠東に鉱山跡があるが、明治時代にそこの精錬用の炭も焼いていたという。当時の写真を見ると、小学校の分校もあり、その搬場の大きさに驚く。

今回使用の窯は、35年前、川越町や朝日町の小学生の為に34日の合宿が組まれたときに、キャンプ場内に復活させたものが使われた。馬のヒズメ型の窯で、4日火入れし、5百度まで上げる。その後密封して5日ほど冷まし、35度になった状態での口開けからの体験である、山での木の切り方、木の残し方、窯内への木の並べ方、火の回し方、口の閉め方と細かな説明。陶芸の登り窯と似ている。最後に、釜から炭を出し、8㌢ほどに切る作業で、真っ黒になる。

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今年も涸沢で穂高連峰を!

 昨春は燕岳だったが、今年は穂高連峰が眺めたくて涸沢を計画。平成2953日嘉門次小屋で泊まり、名物炭焼き岩魚を含む食事。翌朝も天候は良し、途中、かわいい小猿を伴った猿一族と出会う。屏風岩を超え本谷出会い手前で、大規模な雪崩の響きを2度耳にする。雪の多さと気温の上昇からだ。涸沢ヒュッテに到着してコースタイムを計算すると、一般の1.6倍を要していた。加齢以上に体調管理の悪さと運動不足が正直に現れる。

ヒュッテ利用者が今年は異常に多く、1枚の布団に2人のスペースと指示される。仮眠状態で朝を迎え、外に出ると、冷気と雪の涸沢カールの上にそびえる峰々に陽が輝き、気が入る。朝食後再び外に出ると奥穂コルへのあずき沢も、北穂へも多くの人々が登っていく。山々と人の動きを眺めながらコーヒーを楽しんだのち下山。帰路は温泉で汗を流す・・これぞ大満足の山行きとなった。

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三重県山岳連盟総会で思う

 48日、大川学園5階ホールで、三重県山岳連盟の代議員制での総会が開かれた。理事長の挨拶の後、登山部門の県高体連会長挨拶が組み込まれていた。「平成29年度の冬山訓練は中止し、その翌年度からについてはその後検討する」との報告があった。報道では高体連は、今後冬山訓練は禁止と出ていた。公務員中心の高体連ゆえ制限はあるが、栃木県那須町の検証も出ない今その決定はおかしいと私は思っていた。

 私が中学2年の時、学校行事である津の海岸での水泳授業において、46人を亡くした橋北中学校水難事件に出会った。50回忌の節目に、津市に法要をするのか訪ねたが“企画なし”の返答であった。時の2年生の私たちで50回忌を実施、200名以上のお参りがあった。問題なのは、旧津市内の小中学校で、海水浴は言うに及ばず海での行事はここ60幾年間一切組まれなかったことである。海と山と川と田に囲まれた旧津市、危険と安全面のみならず、郷土教育の生きた体験は「危険なこと」と蓋をして何も伝えられない。同様に、登山でも危険と安全の生き体験を受けさせない危険を感じる。

大人になって登山を趣味にした人々の事例で、昨年度、県内の山々で行方不明になり、捜索に県岳連の人々が46回以上出動している。高校も含め県岳連加盟者ではない人々である。また、私が高校で教鞭を取っていた昭和40年代、私は登山部員に冬山を教えなかった。しかし彼らが社会人山岳会を結成し、私が会長になって初めて“高校時代に内緒で冬山に入っていた”ことを知った。これほどの危険はない。自然の魅力は、達成感ではなく登山のその経過にあり、危険と安全や、人間関係や、感性や情緒をはじめさまざまな生きた学びの環境があるからその深みにのめりこむ。冒険とか探検と登山はまた違う。

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湯治とスキー

 平成29220日、富井歯科医院の大先生を訪問。昭和5年生まれの先生だが、お会いするなり「昨日滑ってきましたよ」とお元気であった。幾年か前、5日間通った魅力ある野沢温泉の歯医者さんである。今回は鈴鹿山岳会の仲間13人と出かけてきたが、12月中頃にきついギックリ腰になって未だに完治せず、湯治にやってきたその初日に訪れた。

翌日は喫茶店で持参した原稿とにらめっこをし、後は温泉三昧。22日、こわごわスキーの板を履く。私はシュテム系のすべりだが、中級コースなら板に乗っていれば腰に負担を掛けないと思いつつも少し恐々ゲレンデに入った。思った程負担は無く3本滑ってコーヒータイム、腰の張りは従来のままだが気にならないのは遊びのためだろう。中級ならよしと昼食後標高1.650㍍から一滑りして仲間と別れ、宿に帰り温泉に浸かる。スキーはこの日だけとし、何も考えない湯治の5日間はあっという間に終わった。

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台風の影響と八ヶ岳

91718両日を使って八ヶ岳登山に参加した。

箱庭の鞍部からの標高差100㍍の登りは何時もの心臓のあおりを感じ、腹式呼吸を意識し、23秒の休みを組み合わせながらとなる。北横岳からの下りは何時も通りで幾分ホッとしながら下る。と言うのも、半月ほど前医師から少々厳しい診断が下っていたからである。自己体調感覚を知りたくて、先週の日曜日に愛車のロードバイクで50㌔の遠乗りをしてみたが、従来と変わり無かったためこの山行を断らずに同行した。

今回の企画は、入道ヶ岳登山道整備で貯めた資金を市民に還元する2年毎の鈴鹿市市民登山である。一般の参加者も半数得て52名の大所帯となった。夜の泊りは40年前に見つけた“唐沢鉱泉(炭酸泉)ロッジ”で、何時の間にか鈴鹿山岳会の定宿となったところである。

翌日は天狗岳登山だったが、夜の集中豪雨で、リーダー判断によって中止。朝、記念写真を撮って宿を後にする。コースは諏訪社詣で、御柱祭りで知られる下社上社と廻る。決行であれば、黒百合ヒュッテから東天狗岳への登りで調子を見るつもりだったが、登山の体調診断は次回への宿題となった。だが、昔からの仲間に新しい顔が加わっての触れ合いが持てたことは実に楽しく、有意義な時がすごせた。

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白馬岳、温泉めぐりの山歩き

平成28811日「山の日」の夕刻に松本市に入り、翌朝、大糸線で白馬駅に向かう。猿倉小屋に登山届を出し、白馬鑓温泉に向かう。山小屋は随分拡大されたが、露天風呂は以前のままで、ゆったりと湯と景観を楽しむ。

13日、初めから急なのぼりはこれまで以上に心臓の煽りがきつく、喘ぎながら尾根筋まで。歩きは時間と共にスローダウンはなはだしく、白馬山荘が見えてからの距離はことのほかきつい。翌朝、ご来光を小屋前で拝んでから慌てて朝食。白馬岳山頂は11年振り、『三重県の食生活と食文化』(調理栄養教育公社・2008年)の“あとがき”を下山してすぐ書いただけに少々もの思いにふける。

天候に恵まれ、尾根筋の石畳をカラカラ音を立てながら歩く。白馬大池で昼食を取り、一気に下って蓮華温泉に到着。今回は温泉満喫山歩きである。ただ春まで人の1.5倍のコースタイムにしていたが、この歩きは休憩込みで1.7倍掛かっている。人並みのコース歩きは今回が最終と悟りつつも、大好きな北アルプス歩きが止められない自分を感じる。

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運動不足チェックの経が峰登山

 718日。海の日は快晴、太陽に触発される。おむすび2箇とテルモス(サーモス)に熱いお茶、塩飴少々、登山靴をザックに入れ、西の山に向かって愛車トレックスのペダルを踏んで出かける。

強い西風に立ち向かう形となったため、天神さん下のバス停まで60分掛かった。天神さんへの急な坂、これよりの谷筋の車道も殆ど押して歩いたため、谷奥の標高390㍍駐車場まで50分も掛かりへとへと状態。

休息を兼ねて幾分早い昼食をとり、正午出発。標高840㍍の山頂まで年々時間は加算され、登りに入るとすぐに煽る鼓動を抑えながらの歩きで、今回は山頂まで110分も掛かった。途中のスーパーで購入の地元産梨を360度眺めながら頬張る。下りは50分ゆえまずまず。止めてあった自転車での下りは、心地よさ抜群。

時間があったので、麓の大川学園幼稚園部門専用の安濃の里山“風の森オズ”に立ち寄る。モミジ谷の奥の方が大樹の枝で暗かったので、太陽を差し込ませないと秋に綺麗な紅葉の深みが出ないなどと思いながら帰路につく。運動不足だが、体調ほぼ良好。

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第14 回坂口登山フェスティバル

 今年は7910日に開催された。5年前からほぼ毎年参加している。今では、私より一回り上の田中均氏とご一緒する県外歩きの唯一の大会である。ただ私たちは苗場山登山でなく、登山口の秘境の里の秋山郷探索コースを申し込んでいた。

悪天候で8日の夕方から土砂降り、日帰り隊も1泊隊も登山した者は全員転ばない者が無い状態だったようで、泥田を這いずり廻って戻ってきたような大変さであったらしい。その姿に1週間前から体調を崩していた私は、「休養をとりなさい」との神仏のご加護を感じた。

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 新潟津南ロータリークラブとのご縁で以前一度訪れていた秋山郷探索だが、飽きることの無い自然と文化と温泉があった。ただし次回は紅葉の時期にしたい。そして大会前日の歓迎講演で、津南町教育委員会ジオパーク推進室長の佐藤雅一学芸員による“苗場山麓ジオパーク”の話は、私の興味を満喫させた。自然のみならず、我々の祖先が最初に居ついた遺跡の局部磨製石器や橡の実の集積跡や火焔式縄文土器の話から始まった興味溢れる内容であった。おまけに火焔土器は、50年少々前に山岳で和歌山県代表として出た新潟国体の聖火台を思い出させた。

さて、前夜祭や宿泊先等での神谷ありこ女史演奏による“歌声ミュージック”のひと時も、何時もながら青春時代にタイムスリップさせてくれる。何につけても松田美宏氏と矢沢裕子女史を核とする長野県山岳チームの配慮の素晴らしさのお陰で、100人の参加者全員が今年も楽しい時間を過ごせた。

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鎌ヶ岳と御在所岳

 平成28626日、天気図によると久し振りに晴れマークゆえ、おむすび2箇持参して出かけた。山はどんより状態で、鈴鹿スカイラインの武平トンネル辺りは幾分にも深いガスで包まれていた。残り3日で後期高齢者に突入の私、加齢カバーにここ2ヶ月朝のトレーニングにスクワット150回を加えたその成果の試しも兼ねた登山でもある。

鎌ヶ岳山頂北の三口分岐付近のガレがきつく、巻き道登山道が幾分わかりにくくなっていた。山頂はガスの中、社に手を合わせてから御在所岳に向う。途中、太陽が顔を時折り現す。足の調子はまずまず、御在所岳から裏道を下山する。スピードは相変わらず1.35~1.4掛け、多少足の筋肉に負担は感じたが、緑の綺麗な樹林帯を気持ち良く歩けた。

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感謝の春の雪山燕岳

 昭和32年夏に初めての北ア登山で訪れたのが燕岳であった。昭和4050年代には冬と春だけでも10回以上訪れた思い出多き山である。ただ、5年前の春の槍ヶ岳登山で、歩行速度が極端に衰え、残念だが年々加算状態となっているのでここの登山は諦めかけていた。昨年度から春は涸沢泊まりである。4月に燕山荘の企画パンフが送られてきて、これを見た途端“最後の春の燕岳”と決め、53日から6日の予定で出かけた。

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 今回の山行では、2年振りで、4人の方たちに会えた。サプライズも重なり、実に不思議で嬉しい、感謝すべき登山となった。アイゼン故障でご一緒した松本さん、松本さんと4度山で出会っている服部さんたち、私も含め山小屋オーナーを交えて記念撮影。その他、マッキンレーに60回近く登山されている国際登山家の大倉さんとは登りの途中で2年振りに出会えた。帰郷して、鈴鹿山岳会事務局に下山報告の電話をすると、実は事務局の2人も5日に同じコースで日帰り登山をしていた。最悪の天候の合間に恵まれた上り下り2日間、この山の神々にも感謝したい。

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御在所岳登山と県岳連役員交代

 御在所岳へコブシの花を見にいこうと前夜に思い立って、410日に出かけた。鈴鹿スカイライン沿いにある“一の谷小屋”に佐々木夫妻が見えるのでここに立ち寄る。ついつい積もる話から11時になって小屋を出た。標高500㍍ほどまでは山桜と椿が、コブシの白い花は山頂まで点々といった感じで続いている。ツツジが咲けば艶やかなのだが、標高600㍍以上はまだ冬姿の木々である。

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今回は岩場も見られる尾根筋の中道を登り、藤内小屋のある谷筋の裏道を下った。今回の突然の山行きは、前日に大川学園5偕ホールで三重県山岳連盟の理事会と代議員制での総会が開かれ、多くの岳人に出会ったことによる。話はそれるが、山岳連盟は6年ぶりに会長以下役員の交代があった。新会長に亀井正明氏・新理事長に居村年男氏が就任である。連盟の規約と組織の一新で、私は“顧問”から“名誉理事”の名をいただいた。さて山歩きは、心の爽やかさとは裏腹に、運動不足が祟り、2本のストックのお陰で何とかといった状態であった。

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今年も来れた野沢合宿

平成2821日より45日の日程で、鈴鹿山岳会吉川氏の呼びかけで16人が集まり、“野沢温泉”行きが叶った。内3日間はスキーに専念、運動不足でもシュチムなら板に乗ればほどほどに楽しめる。私の行動の相棒は田中氏で、私より年齢は一回り上だが意欲満々、「休憩タイム」と声をかけると「あと一本」が常の元気人である。真似は出来ないが、歳重ね上手は私の憧れである。宿に帰れば、すぐ二人で近くの熱い熱い湯に身を浸ける。不思議と体力回復できる。

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野沢でもう1人、野沢在住のお元気人を訪れた。4年前に歯痛のまま合宿に来て5日間通った“富井歯科医院”、そこで治療を受けて大好きになった富井英信先生である。私より11歳年上のスキー大好きな方である。今般、先生から『野沢温泉スキー誌』(昭和51年)をいただいた。実は先生も編集委員の1人だが、ご尊父富井英士さんはそのスキー誌に、「明治453月、中学の春休みになって、ぼくら寄宿舎仲間がスキーを持って野沢に帰って来た」と書いているその人であり、野沢スキー場を開いた中核の人物である。

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年末の登山道整備

平成271229日、入道ヶ岳の登山道の補修の声がかかったので出かけた。25年ほど前に取り付けた鎖場の鎖が風化ではずれ、一方、急なガレ場の道が崩れて危険と成っているための召集である。今回は池ガ谷コースということで、鈴鹿山岳会員14名が8時半に祓い塚(小岐須渓谷)に集った。体力の有る4人は25kgはある発電機と大型ドリルを担ぎ上げての鎖場のボルト打ち班となり、あとの者は危険箇所となっているガレ場の階段付け班と分かれた。

私は後者で、直径10cm程の立木を切り、60cm程の杭を作って急なガレ場の危険な場所に打ち込み、横木を疎へて一段一段と階段を作った。大きな鉄製の重い金槌とツルハシが大活躍、後は手作業である。一つ岩を動かすと、100mほど一気に崩壊しそうな急なガレ場での作業ゆえ、声の掛け合いで進める。冷たい風が一時的ではあったが雪を運んで、山の神は我々の作業を喜んでくれた。

11時に作業を一旦やめ、少し下った尾根筋のブッシュ帯で昼食とする。10分程遅れでボルト隊も到着し、この日支給された椿神社名物の“カシワ飯弁当”を開く。その後二手に別れ、別の箇所の補修を行い、祓塚に1430分集合。ここで先に下った女性陣で仕込んでもらった熱々のおでんを頬張る。30幾年か続いている登山道整備だが、今回も集まれば楽しい仲間たちである。

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高野山大学山岳部OB会

 128日、蟹の解禁にあわせて天橋立に集まろうと1ヶ月前に決めた。5年前ネパールのトレッキングで一緒した宮津市の日下さんの地元とあって段取りをしていただいたのであろう、晩餐の蟹づくしは最後のしゃぶしゃぶ用が余るほどのボリュームであった。よく食べたのみならず、共通体験環境ゆえよく喋り、地酒“遠い道”のネーミングに釣られたと言いつつよく飲んだ。ここに来て何より嬉しかったのは、体調を崩してみえた日下さんが良くなられたことであった。そして私にとってもう一つ念願がかなったのは、丹後一宮元伊勢籠神社近くで奥宮の真名井神社に参拝できたことであった。以前から訪れたいと願っていたのは、“外宮の豊受大神はこの地から1500年前に伊勢に招かれた”との伝承があるからであった。その宮が、今回の宿泊先“神風楼”のすぐ近くゆえ、宴が始まる前に参拝しに出かけた。私にとって、トリプルラッキーな日であった。

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秋の遅い御在所岳

 年に一度か二度、御在所岳への中道と呼ぶ尾根コースで山頂に行き、裏道と呼ぶ谷道をくだる登山をしている。104日、天候も程良いため、おむすび3個と水筒、ヘッドランプと雨具に地図と磁石、少々の飴を持参して出かけた。

 近鉄の終点からタクシーで、鈴鹿スカイラインの中道の取り付きまで運んでもらった。家を出たのは8時半を過ぎていたため、登り始めは10時であった。尾根伝いゆえ、岩場も適当に有り、景観の良さも抜群で、山頂をにらみながらのコースである。

 帰りは、岩崩で崩壊した谷間に沿って作り直された山道を下る。兎の耳と呼ばれるところから藤内小屋までの間は、巨岩と砂で真っ白の世界になった。その小屋には、毎週集まる小屋仲間とも言うべき人々が“写真とスケッチ画や漫画”を所狭しと展示している。沢が大崩壊したあと、登山道を付け替えたり、岩でがらがらにやられた山小屋を補修した中心メンバーの顔がそこにあった。野呂邦彦さんである。そういえばこれまで一緒に写真を撮ったことが無かったので、並んでシャッターを切ってもらった。

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人の心に感動の上高地行

春の涸沢への登山の帰りに迂闊にも財布を落としたことを書いた。9月に入って松本署から「財布が見つかりました」との一報が入り、送ってもらった。

荷物を開くと、財布の片側の表面は随分色あせていた。保険証、山岳保険証、テレフォンカード、裏地布の染めが染み込んだ名刺、染まったお札が出てきた。電話を戴いたときにも感動したが、一つ一つ出すたびに、感謝、感謝である。そして日本人の素晴らしさに興奮した。

拾得者が判らないため、署に問い合わせたが、相手の方は一切伏せて欲しいとのこと。お礼を署経由で出来ないかをお尋ねしたが、それも無理であった。川原で拾われたことだけは聞かせていただけた。横尾の南20分は春のルートは川原となる。夏には小屋荷物運搬車か道路補修の作業用車こそ通らない道ゆえ、拾得者の想像はその関連の方である。しかしながら感謝が表せないため、このブログに掲載した。

そしてシルバーウイークの後半、お金を持たない私を泊めてくださり、帰りの交通費まで貸してくださった上高地温泉ホテルに報告に出かけた。会長さんも社長もそして支配人さんも、古い知人のように迎えてくださった。

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槍ヶ岳西鎌尾根歩き

 平成2789日から13日の日程で出かける。西鎌尾根も思い出多い尾根の一つだが、74歳ゆえこのコースは最後になるとの思いがあった。最近は、人の1.5倍の時間を使って歩いているが、終盤になると2倍を要していることが多い。

ところで今般、81歳の横浜の辻さんに気に入られ、へろへろになって槍の肩の小屋に着いたところを、食事まで2時間あるので頂上へと誘われ同行した。

ガスが出だしては来たが、20年ぶりだけに景観を楽しめた。翌日は西と東の鎌尾根に分かれるが、実にタフな人と感じ入った。楽しみにしていた千丈乗越しまでの西鎌尾根は一般のコースタイムだったが、双六小屋に着いて時計を見ると倍の時間がかかっていた。ただ翌日には雨の予報もあり、小屋でおでんを食べてから鏡平小屋まで足を伸ばす。

翌日は雨、新穂高温泉の村営温泉施設で1時間ほど浸かる。良くぞ歩いてくれたと、自分の足にお礼を言ってしまった。

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藤原岳に完成のトイレ

720日、『鈴鹿山系の伝承と歴史』(新人物往来社)を著わして以来30数年振りに藤原岳に登った。避難小屋前に三重県山岳連盟の皆さんがトイレを完成させたからだ。施工中にと思いつつも、機を逃してしまっていた。

ブッシュ帯を抜けて、突然現われた本格的山岳トイレに感動。雨水貯蔵槽とトイレ棟と分解処理槽で出来ている。自然浄化作用を最大限に生かした設計ゆえ、利用者は貼られた留意書きの指示を守ってほしい。

今日は日頃の運動不足のために足は棒になったが、気も心も晴れ晴れと久し振りに思い切り良い汗を流した。

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小岐須渓谷山の家に集まる

 鈴鹿山岳会事務局橋川夫妻からメールが入り、「61316時から小岐須渓谷山の家で飲み会をする」とあった。ちょうど空いていたので、楯氏と白子駅で待ち合わせをして参加。鈴鹿山岳会の1グループはどこかに登山中とかで、9人が集まった。

小屋の前庭で4時から石大神を眺めながら、22時半まで語りあった。この中で、参加されていた前田さんは、私が大学生のとき、2年間、大学の登山合宿後に立ち寄った“合生中学校”の生徒だったと判り、感無量。2年間、余りにも大きい課題を背負った中学校で有り中学生だったためである。奇縁である。

 翌朝、鈴鹿スカイラインの武平峠トンネルまで運んでもらって、御在所岳を経由して裏道で湯ノ山に下った。藤内小屋で、五目山岳会の原さんに会う。昨夜はこの小屋で会の飲み会だったそうである。時間が少し早いため、菰野町にあるパラミタミュージアムで「岸田劉生展」をしていることを思い出し、立ち寄って帰路につく。

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穂高連峰に囲まれた涸沢までは良かったが

5月の4連休を利用して雪の涸沢に出かけた。第一日目は明神神社前の嘉門次小屋に入り、岩魚定食をいただく。2日目は小雨の中を涸沢ヒュッテに。3日目は時間と共に雲が姿を消し、真っ青な空の下に穂高連峰が迫ってくれた。1020分過ぎまでゆったりし、1345分横尾に到着、スタミナ丼を注文。ここまでは良かった。1520分ごろ徳沢園に着き、ソフトクリームを注文し支払いをしようとしたところ財布が無いことに気づいた。

ヘッドランプと水と少量の食べ物を持参して、会う人にも尋ねて休憩地点を振り返りながら横尾まで戻る。悪い時には重なるもので、横尾から携帯電話がつながらなくなる。2時間半程のロスで徳沢園に再び戻り、携帯で今夜お世話になる上高地温泉ホテルに事情を説明。真っ暗な上高地バスターミナルに到着して電話をすると迎えの車を手配してくださり、20時少し前にホテルに到着。  取締役総支配人の真木憲雄さんのさまざまに行き届いた配慮のもと全ての段取りをお取りいただき、温かなスタッフの心遣いによって食事と湯と布団に包まれた。宿泊費に併せ帰りの交通費までお借りして、619時前に何の不自由もなく家に帰り着けた。あってはならない迂闊な体験であったが、総支配人さんから様々なことを学ばせていただけた山行きであった。

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サイクリングを兼ねた経ヶ峰登山

 正月からこちら、休日は「眠り爺」の癖が付いた。124日、目を覚ますと素晴らしい天候、歳を重ねる直前に「今が一番若い」と自分に言い聞かせて求めた車に乗って経ヶ峰(819.3㍍)に向った。愛車と言っても、トレック社のクロスバイク(自転車)である。

 12時に家を出、草生(くさわ)の天神さんに着いたのが13時。これより車を押して谷道をつめ、最終の駐車場に1345分着。ここで登山ズボンと登山靴に着装しなおし、サンドイッチを一口食べて出発。息切れが激しく、頂上に1530分着と若い頃の倍の時間がかかっている。頂上で、30歳少々だろう高橋さんと出会い、雑談。16時に下り始め、45分で駐車場に着き、再び着替えて一息入れ、17時出発。帰りはほぼ下りゆえ、1750分には家に着いた。

 この車を求めてから、関宿、榊原温泉、安濃ダム、河芸マリーナ、香良洲公園と時間が取れれば一人で走っている。ただ、安濃川沿いを省けば、歩道は自転車用になっていないため走りにくく、危険だが車道を走らねばならない津市である。

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忘年例会と宮指路岳登山

12131730分、鈴鹿市の小岐須山の家で月例会が始まった。参加者は19名、2ヶ月間の遭難救助参加の報告(多発状況)、藤原岳のトイレ作りの支援状況、12月の冬山訓練を始めとする山行計画他。

1時間後、忘年会に移行する。参加費のほか112品の持ち寄りでの宴会となる。実に楽しい。23時にシュラフ(寝袋)に潜り込む。ゴウゴウ突風に暗闇の中、目覚める。部屋の中とは言え温度の下がるのが判る。

14日、朝食準備、車で奥の駐車場に移動し、85分行動開始。大石橋から小社谷を詰めて峠に出る。尾根筋は西からの突風で幾分あおられ気味。続くザラザラの痩せ尾根のピークを幾つか越え、ブッシュ帯の宮指路岳(くしろ:標高946㍍)の風当たりの少ない場所で昼食。

少ししか積もっていないが、今回が私にとって今年初めての雪の山、鎌ヶ岳の遠景が綺麗である。秋には紅葉の美しいカワラコバ谷を下る。このコースも荒れていたので、今年の秋の登山道整備に幾人か分かれて入って整備したが、春にもう一度手を加えなければと話し合う。

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山道の補修

 1031日、鈴鹿山協と鈴鹿山岳会共催による、椿大神社の奥の院にあたる入道ヶ岳(906㍍)に通じる登山道の補修に参加した。幾本もの登山道があるが、補修が最後になった小岐須渓谷から入る“池ヶ谷コース”である。

ここは5年前の大雨による山崩れの後遺症が各所に残っている。大木が幾本も横たわった地点、沢が荒れて道がなくなった地点、ポイント⑥と⑦間にスズメ蜂の大きな巣との情報等を元に計画が立てられていた。

 朝830分、小岐須の山小屋前に、ツルハシ、シャベル、電動ノコ、鉈、鋸等を持参した14人が集まった。私は仕事の関係でここ数年は時としてこそ参加できなくなったが、皆30数年前から春と秋に入道ヶ岳登山道整備を続けているだけに息が合ったもので、2班に分かれての作業となった。ただ午後雨が降るとの予報であったため、12時に小屋前に戻って椿神社名物の“とり飯”弁当と事務局が作ってくれた10種類の具の入った特製豚汁で昼食、雑談に花が咲いての楽しい時間が持てた。皆さんご苦労様でした。

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孫たちと御在所岳登山

915日の敬老の日に、小学1年生と2年生そして中学1年の孫たちと御在所岳に出かけた。13日の夜に仕事を終えて家に帰ると、1年生の孫娘が遊びに来ていて、「お兄ちゃんは富士山に登ったが、私はどこの山にも行ったことが無いの」との言葉が切っ掛けであった。雨具と着替え一式、水筒とおむすびそしておやつは本人持参とし、私はヘッドランプや地図等一式と3回の休憩時に食べる大きなリンゴと夏ミカン、そしてパック入りのパイナップルにアーモンドチョコレートを準備した。

スカイラインの蒼滝から裏道を登る。七の沢の橋の架け替えで、三重県山岳連盟の皆さんが集まり始めていた。藤内小屋にも、5年前の土砂災害以降小屋を直すボランティアの人たちが今日も幾人も集まってみえた。

小屋前では、山の絵と写真の展示会を開いてみえた。昨日は嬉しくて眠れなかったと張り切る孫娘。あちらこちらで休憩をゆったり取りながら、孫たちは山頂公園に元気に到着。リフトに乗ったことが無い小学生にせがまれ、これで山頂に移動。天候に恵まれ、ゆったり遊んで15時過ぎにロープウエーで下山、これも小学生は初めてで、その高さに驚く。

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涸沢小屋でUターンの山行き

 81417時に津を出て2030分頃に松本市内のホテルに入った。翌朝632分の松本電鉄に乗車し、バスに乗り継いで上高地に着いたのは830分頃であった。今回の夏山は“雲の平”と考えていたが、ゆったり登山の私ゆえ日数不足で、槍ヶ岳から双六経由で新穂高温泉への計画とした。ところが、登山直前に心電図に異常が見つかり、循環器の細密検査となった。天候上の問題もあったが、この故、診察を済ませてからの夕方に出発した。

上高地はまさに土砂降り、梓川は激流で荒れ狂っていた。そこで横尾小屋に着くころには涸沢にコース変更を考えていた。本谷は怖いほどに飛沫だっていた。涸沢小屋に泊まったが、翌日も雨が止む気配は無く、単独行ということもあり、次年度の楽しみとして下山した。幸い上高地温泉ホテルが1室取れたのでここに宿泊。雨と一人旅ゆえ、持参の図書2冊(ブログの“教育”に掲載)を読み終えて帰津となった。

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第12回坂口登山フェスティバル

 74日、大会の前夜祭が八ヶ岳連峰の一角にある横谷温泉旅館で開かれ、全国から118名が集った。観光都市だけあって、茅野市市長も最後まで同席され、我が三重県参加者3人と記念写真とのサービス振りである。翌日は幾班にも別れて蓼科山や北横岳と散策登山、その翌日は午前中に車山を歩いた。花の群生で知られる山だがレンゲツツジは終わり、ニッコウキスゲには早すぎ、自然だけに会えないのは致し方無し。しかしながら、最近出会えなくなったカッコウが、横岳の帰りと、2泊目の湖畔のホテルと離れた2ヶ所で聞くことが出来た。私が高校時代を過ごした和歌山県の山奥の寮の裏山に、カッコウや啄木鳥が時折訪れてきたのを思い出す。心配ご無用、健在健在との鳴き声に、爽やかな元気がもらえた。

三重県からの同行者は、私より一回り上の田中均さんと、3歳上の元高体連登山部長の西田勝さんである。山も素晴らしいが、長野県山岳連盟の方々の心のこもった企画力の魅力は何時もながら凄い。初日には3講座の座学(スーパートレイル理事長米田正利氏、霧ヶ峰自然保護センターの小松研一氏、マッキンレーから昨日帰ったばかりの国際登山家でこの大会の隊長の大蔵喜福氏)も組まれている。前夜祭では、東京からミュージックエムズの若い2人の歌手、歌声喫茶雰囲気を毎年楽しく提供してくれる仲原みゆ紀さんたちの催しと満載。坂口三郎会長を中心に、松田美宏大会主宰そして矢沢裕子事務局長とそのスタッフの素晴らしい連携のおかげである。帰りの車中、我々、思いを伝えるのが苦手だが、次回に参加させてもらう時は余興持参でとの話しに成る。

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燕岳への春山登山

5月の連休に、一人で燕岳登山に出かけた。3年前の春、吹雪となった槍ヶ岳の詰めで若い仲間を20分おきに待たせて以来、一人での登山が増えた。昨年は春の雪の穂高連峰を眺めたくて一人で涸沢に出かけ、そして今年は、四季を問わず飽きずに登っている燕岳である。

途中、ヒマラヤシェルパで、エベレストにもスイス隊と登頂しているラマ・ゲルさんと出会った。3年前に坂口登山フェスティバルで知りあった彼だが、今回は息子さんが「雪の山に登りたい」と言うので二人で来たとのこと。この登山ではもう一人、松本さんとの出会いで、下山まで楽しい時間が過ごせた。

私は、単独時は、スケッチブックか図書を持参する。今回は後者だが、列車以外開くことなく2冊の図書は綺麗なまま家に帰った。雪の山と人との出会いに感謝である。

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根の平峠から国見峠を歩く

1117日、午後から雨が降ると昨夜の天気予報だったが、目覚めると青空に太陽がサンサンと輝いていた。次の祭日は30数年前から鈴鹿山岳会の仲間と続けている入道ヶ岳登山道の整備だが、仕事が急に入って参加出来なくなった。翌日曜日も業務が入っていることから、今日を逃してはとテルモスに熱いお茶を入れ、雨具と着替えの衣類、そして地図や磁石を詰めて山歩きに出かけた。

 近鉄湯の山温泉駅から車で朝明渓谷に向った。伊勢谷小屋で下車、ここから歩き始めた。今年は少し色がくすんでいるが、朝明渓谷の紅葉の木々を眺めつつ落ち葉を踏みしめるのは嬉しい。根の平峠、ここは冬仕度をしている。

青岳(1102.1㍍)そして国見岳(1175.2㍍)を経由して、国見峠から藤内小屋に下った。途中、駅で求めたカツサンドとおむすびを食べつつ、何も考えず、山を眺めて黙々と一人歩くのもまた楽しであった。

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台風直前の山行き

楯さんから夜に電話が入ったので、家にいるのなら御在所岳麓の不動谷に行こうと誘った。

10148時に白子駅に待ち合わせをして、湯ノ山スカイラインの一の谷小屋までと出かけたが路上に車スぺ-スがないゆえ、少し戻り、蒼滝上に駐車。一の谷小屋から中道を少し上がってから裏道にトラバスし、北谷から不動谷のコース設定で登山届けを出す。参加者は、楯さんと小学校6年生の私の孫の3人。

藤内小屋に着くなり、楯さんが「御在所に変更しよう」と言う。互いに72歳、私より元気だったが体調のこともあり、6年ほどこの裏道を歩いていないと知る。昔と違い、谷が抉られ、新たな堰堤が出来、流されかかった小屋が修理され(途中)、姿を変えた裏道を歩き、御在所岳に到着。

登山者はこの3日間多いと小屋の奥さんの話。7合目を境に、巨大台風の接近のためガス(霧)った。それでも気のおけない仲間との登山は、歳を忘れて楽しい。

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西穂高小屋から焼岳小屋を経て

新穂高温泉に宿泊し、翌朝、焼岳に上るため中尾温泉までタクシーを予約しようとしたが営業所が無く、呼ぶのに6,000円かかるとのことでコースを変更。同伴者の妻や孫とケーブルで2000㍍まで上がり、記念写真を幾枚も撮り、夕方5時には中尾温泉のペンション“まほろば”で合流しようと別れた。

 西穂高小屋でソフトクリームの看板の誘惑に負け、休憩。そのときテーブルから食料袋を落としたのに気付かず、1040分出発。

コースは森林帯ゆえ、徳本峠から蝶ヶ岳のようにつまらないかと予想して入ったら、眼下に梓川、帝国ホテルの屋根、大正池。振り向くと明神岳から前穂高岳そして奥穂高岳につらなるつり尾根の景観が迫って、思わぬ拾い物をした。 

途中、腹ごしらえをとザックを開けたが、おむすびころりんすっとんとん・・休憩地に落としてきたため見当たらない。潰れると汁が出るため別ナイロン袋に入れておいたトマトで腹ごしらえをする。焼岳小屋に着けば、うどんにでもありつけると頑張って1420分到着。しかし残念、店が無く、湯を沸かしてもらってのカップ麺。

焼岳の全容を望む展望台まで往復し、15時下山。1645分白水滝を望む地点で携帯電話から家族に一時間遅れとなる旨を連絡。そして林道に1720分着、ここからが遠く、ペンションに1750分着。

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坂口フェスティバルで常念岳

 昨年はこれが最後になりそうと弱気だった私より一回り上の田中均氏が、常念岳登山に参加しませんかと元気百倍。今年はそこに高体連の部長を長くされていた私より3歳上の西田勝氏が加わり、3人で坂口フェスティバルに参加した。 

 安曇野の山懐にあるほりでーゆ~四季の里(ホテル)に、75日全国各地から117人が集った。坂口三郎会長の人柄と世話をしていただく長野県岳連の尽力の賜物である。

 6日は標高1323mの一の沢登山口から常念小屋を目指した。我々5班は、今回の隊長で冬のマッキンリーの6000m代で20年間風速測定を続けられた大蔵喜福氏を含む11人班。

坂口会長及び我が田中氏を含み80歳代3人は私以上に気力・体力が優れてみえる。尾根筋に着く頃には猛烈な強風と横殴りの雨、この日の頂上行きは中止されるほどであった。翌朝4時半に頂上行きは出発。私は取りやめたが、西田氏はアノラック上下の雨具をつけて参加。出発直後、小屋の中でも判るほどの大雨と突風。

とにかく今回の山歩きは、晴れと晴れの合間に行動した。下山した翌日は快晴。お陰で、下界の猛暑知らずであった。

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新たなご主人を迎えていた涸沢小屋

平成2554日、「関の戸」を土産に穂高連峰に囲まれた涸沢小屋を訪れた。3年前の夏にお会いした時お元気だったご主人が、その翌年に亡くなられていたことを知った。山小屋の経営を受け継がれた芝田洋祐さんからのお話しである。平成21811日のブログには、元気にニッコリ微笑まれたご主人の姿がある。

ご主人とのご縁は、昭和39年に山小屋を建てられ、40年、41年と小屋が心配で正月に入られていたところに、私たちが“穂高岳冬山合宿”で現在の冬季小屋のところにテントを張ったときからである。

この時山小屋には、日大山岳部OBの菅原助教授が雪崩と雪の研究で同行され、さらにこの小屋を建てた新井浩夫ご夫妻も命を掛けて雪と小屋の状況を見るため共に正月を過ごされていた。

芝田さんが、その新井さんが今見えているからと連絡を取ってくださった。思いがけない再会に50年前が一気に蘇った。不思議なご縁があるのか、新井さんが昭和60年に作られた冬季小屋に、その翌年、私は5人の仲間と1週間吹雪で缶詰状態のような形で利用させていただいたこともあった。

今回は、悲しさの中にも新たなご主人や私より1歳上のお元気な新井さんにお会いできた喜びがあった。そして、雪と岩の最高の景観を翌日後にして山を下った。

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八ヶ岳の秋

 鈴鹿市山岳協会主催の市民登山大会に、101314日同行した。第一日目は、麦草峠から丸山そして高見石小屋経由で白駒池の探索である。標高2000㍍程にある水辺は寒暖の差が大きいゆえだろう、素晴らしい紅葉を満喫させてくれた。宿の唐沢鉱泉に暗くなって到着、全員汗を流してからの遅い夕食となった。

 翌日は、天狗岳を廻る本隊と、子ども2名を含む7名の私たちは別行動で、同じコースを逆行し黒百合ヒュッテとその上の天狗の奥庭までを往復した。黒百合ヒュッテ前の溝川に薄く氷が張り、道に霜柱が立って冬の到来を感じた。

  ヒュッテで挽きたてのコーヒーをいただき下山。自慢にならないが、宿に帰着直前に天狗岳を廻った本隊の1班に追い越されるゆったりさで、普通の1.3倍の時間を掛かけた歩きをしていた。だが今回も、満足満足の山行きをさせてもらった。

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山岳遭難危機管理の青山千彰教授を迎えて

 9月22日、三重県庁講堂で、日本山岳協会遭難対策常任委員で国際山岳連盟委員、関西大学総合情報学部の青山千彰教授が、「登山リスクを考える」と題して講演を行なった。

私は、大川幼稚園の運動会で残念ながら聴講できなかったが、教授は平成204月に大川学園5階ホールで開かれた三重県山岳連盟総会時の特別講師で、「道迷い事故対策」をテーマにお話いただいた方である。また、教授の著した『山岳遭難の構図』(東京新聞)を読んで、感銘すると共に山岳遭難を学問として取り上げて見えるわが国唯一の学者と知った。その道では世界レベルで、稀な学者である。

時間がとれたので、講演会後の三重県山岳連盟有志30名ほどが催した教授を囲む会に参加した。私以外の参加者は、県内で急増した山岳遭難に日々対応している人ばかりで、酒と議論に熱の入った、久しぶりの良い集まりとなった。

 写真は、右から青山千彰教授、今回の世話人(元県山岳連盟理事長)の萩真生氏、県山岳連盟遭難対策委員会事務局長居村年男氏、そして私である。

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体調不良で温泉旅行となった山行き

 この夏は、何故か急に野口五郎岳から烏帽子岳への尾根を歩きたくなり、山に入った。

810日、3年前は太郎小屋から双六小屋に出て下った鏡平小屋経由道からの入山である。13時までに鏡平に着けば双六小屋まで足を伸ばすつもりでいたら、昼食時から気分がすぐれなくなり、その後予想外に体調が悪くなった。夜汗をかき続け、うとうとして目を覚ますと天井が回っていた。夜中に脱水症を起こした可能性もあり、少し補水して様子をみる。昨日の夕食は軽めで食べられたが、朝食を体が受け付けない。荷をまとめ、外で1時間ほど様子をみたが一向に回復しないため下山。途中、シシウドヶ原で体調が幾分戻ったので、野菜ジュースとかりんとうとウインナーを口にする。景色の良いところゆえ、スケッチブックを開いて穂高岳連山を描く余裕ができた。

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 結果として今回の登山は、8月9日、ホテル新穂高に泊まり、2日後の11日、再び同温泉郷で焼岳登山口のペンションまほろば泊という温泉旅行になった。

 後者は下山して観光案内所で紹介していただいた所だが、広い室内風呂のほか、4箇所の露天風呂があり、旅館並みで気分が一新できた。お陰で、夕食を余すことなくいただけた。

夕食といえば、温泉を利用して養殖されているというこれがなかなか美味の鯰の造り、岩魚のホイル焼き、飛騨牛厚切り朴葉焙烙焼き、蕎麦、他もよい素材を丁寧に扱った料理で満足させてもらった。

無事帰郷したが、夏風邪、加齢をつくづく感じる夏となった。

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第10回坂口フェスティバルに参加

 三重県からの参加は前県山岳連盟会長の田中氏と私の2人だが、全国から100人ほどが集まった。今回は、第1回南極越冬隊長の西堀栄三郎氏他が天候不順のときに退屈紛れに作詞して出来たと伝わる「雪山讃歌」の鹿沢温泉角間峠を含む山歩きとあって参加した。峠近くの碑、隣の案内板には、西堀氏を始め京都大学カラコルム遠征隊長の四手井綱彦氏他、初期の海外遠征で名の知れた人々がこの歌詞作りに関わっていることが記されていた。碑には、「雪よ岩よ・・山よさよなら・・」の二つの詩が西堀氏の自筆で刻まれていた。

629日からの梅雨前線真っ只中の山行きだが、主宰者の坂口三郎氏のお心なのだろう天候に恵まれた。日本一といわれるレンゲツツジの群生する湯の丸山(2098㍍)を始め、可愛い花を咲かせるイワカガミやマイヅルソウの群生地にも出会える歩きが楽しめた。

今回の参加で驚いたのは、標高1973㍍に位置する高山高原ホテルでの本格派ディナーを、ソプラノの響く素敵な歌声と共に楽しめたことである。さらにこれは恒例のようだが、シンセサイザー・アコーディオン・ギター演奏での歌声喫茶企画の別メニューもあり、まさに長野県山岳連盟の方々のもてなしがそこにあった。感謝、感謝である。

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槍ヶ岳への春山

 連休の52日から5日を利用して槍ヶ岳に登山した。今回は鈴鹿山岳会のメンバーが同行者である。沢渡のペンションしるふれい、槍沢ロッジ、槍ヶ岳山荘と3泊の日程である。3日目、ロッジを出発したころは青空の下であったが、高度と共に天候は悪くなった。槍ヶ岳山荘に着いた直後からは猛吹雪で低気圧の通過である。4日目の朝20㌢弱の新雪、ガスは濃かったが吹雪は止まっていたので下山。少し下ると青空が顔を出し、徳沢園当たりで時々雨、明神では雷と渾然とした天候。沢渡のペンションの温泉に入浴のため立ち寄り、北アルプスでの幾多の遭難を聞く。家に帰り、天気図を切り抜いて山の手帳に張る。2日に四国南に位置していた1000㍊の低気圧が、関東を通り、私たちが槍ヶ岳に着いた4日夜には990㍊に発達して青森県に北上していたことによる標高3000㍍の大荒れの冬戻りと知る。

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久々の御在所岳周遊歩き

 1113日、寝覚めると庭の欅の間から太陽がそそいでいた。登山に出かけるには少しおそかったが、おむすび3ヶ作って9時何分かの電車に乗り、湯ノ山温泉に向かった。一の谷茶屋の佐々木さんにお会いしたくて、小屋に立ち寄る。 

 奥さんは通過を再開したばかりの鈴鹿スカイラインの武平峠の滋賀県側がどうなっているか見てくると出かけられていたが、ご主人とお会いできた。

御在所岳へは中道を登る。途中、渋滞にあう。下山してくる人に聞くと、バス2台の団体登山の方たちが前に列をなしているためとのこと。最近、どこに出かけてもこの種のツアーが増えた。

下山は裏道とし、藤内小屋に立ち寄る。ボランティアに入っている知人と会う。幾人かは、ウインチ持参で、北谷から木を切り出すためにそちらに入っていると聞く。この方々のお陰で、裏道や小屋の修復だけでなく、小屋前の公衆トイレも完備した。

紅葉狩りには少し期待外れであったが、青空の下、心地よい汗をかくことができた。

写真上から、中道キレットから御在所・藤内小屋2代目(御在所山の家から3代目)神谷夫妻・今では見れない山中の炭焼き跡。

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木曽駒ヶ岳と唐沢鉱泉

今年の夏山は、労せずに2時間ほどで標高2956㍍にたどれる駒ヶ岳に、「ななそじ(七十路)」の記念を兼ね、同年齢の楯氏と登った。

89日は、山頂の木曾小屋泊まり。石川県から来られた3人組のおかげで、楽しく夜が過ごせた。翌朝も天候はよく、山頂でご来光を拝む。朝食後、小屋でゆっくりして下山するが、千畳敷に10時着。このまま帰るのは惜しいと、八ヶ岳山麓の唐沢鉱泉に予約を入れる。携帯電話は便利である。茅野駅から三井の森のその奥にあるこの湯場は、二酸化炭素冷鉱泉である。昭和59年にやはり楯氏他数名で訪れたのが始まりで、鈴鹿山岳会の推薦宿となった。ここも涼しく、お陰で、ゆったりまったりの3日間が過ごせた。

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御在所岳裏道の四ノ渡補修

 724日、三重県山岳連盟遭難対策委員会事務局の居村年男さんの呼びかけがあり、幸い空いていたので山の道具にお握りと鋸を加えて出かけた。巨大台風によって、藤内小屋を経由する登山道の橋が2ヶ所流され、その架け替えである。若い方も含み、30有余人が集った。

昨日に20人ほどで切り出したという直径45㌢はある杉材を3本、ウインチを使って引き出す。一方では、ノミと金槌で岩盤を崩し、大雨でも安全な高さの位置への道作り、橋はそこから対岸の岩の上にと掛ける。参加している多くは、3年前に大崩壊した裏道登山道を整備し、或いは藤内小屋の復活に参加している人たちである。お邪魔虫のような私が言うのもへんだが、その手際よさは、一体感も伴って、感動と楽しさと心地よさがある。参加者は、日本山岳会東海支部、鈴鹿AC,、菰野AC NTT、朝明AC、桑名山岳会、チーム藤内小屋、そして私一人だったが鈴鹿山岳会、県警巡査長、他である。藤内小屋を継がれた神谷清春さんともお逢いできた。みなさん、ご苦労様でした。

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坂口登山フェスティバルと吉住先生の散骨

坂口登山フェスティバルは、78日は栂池ヒュッテ、9日は登山そして白馬大池山荘、10日は下山と23日の催しであった。三重県からは田中均さん(三重県山岳連盟前会長)と私が参加した。主宰の坂口三郎さんは日本山岳協会前会長で、長野県山岳連盟の方々が中心になり、坂口さんと一緒に登山を楽しもうと全国に呼びかけた催しである。新宿の“歌声喫茶ともしび”のリードで、久し振りに山の歌を歌った。国際登山家の大蔵喜福さんの、マッキンリー6194㍍地点に気象観測機器を備えて20年間もの資料取りの夜話に、私は興味と感動を覚えた。

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今回の私の同行には、高野山での7年間の生活者としての僧侶代行の役割があった。今年亡くなられた三重県山岳連盟顧問の吉住友一先生の遺言による、北アルプスを満喫できる地での散骨時の読経担当である。白馬乗鞍の景観の良い位置で、しかもここに眠る千葉大学医学部山岳部の若い友がいて仲良く酒が飲め、大きなケルンで判りやすい地を田中さんは心に決めていた。石を鈴に見立て、懺悔文に始まり、般若心経、不動明王はじめ各種真言、そして回向文と読経を勤めた。

こうして亡くなられた仏は50回忌を境に神となり、私たちと共に異次元世界で生きる。これが日本の信仰文化である。

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大台ヶ原山に関する原稿と写真の最終確認登山

 54日~5日と鈴鹿山岳会の登山仲間5人で大台ヶ原山を訪れた。今回は、この夏に出版予定の図書『大台ヶ原山 知られざる謎』の神習教大台教会の表現部分と古い写真に関する確認を兼ねての訪問であった。田垣内教長ご夫妻に、いつものように温かく迎えていただいた。ありがたいことに、整理をしていて出てきたという新たな貴重な写真にも出会えた。

翌早朝、冷気の中、本殿で厳粛にご祈祷を受け、一人一人玉串を奉納する。天候に恵まれ、大台山頂―牛石ヶ原―大蛇嵓―シオカラ谷と、俗に言う東大台をゆったり歩いた。大台ヶ原山を北上川側に下った山深い小処温泉で、遅い昼食を済ませ、のち、ゆっくり温泉に浸ってから帰宅の途に着いた。今回も楽しい一時が過ごせ、大台山神様に感謝である。

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登山仲間と雪の中で海鮮バーべキュー

平成2312123日、白馬村嶺方に鈴鹿山岳会員27名が集った。

22日、標高1000㍍の雪の中に雪のテーブルを作り、持参した4台の七輪に炭火で、伊勢の海の鈴鹿漁港で出発直前に仕入れてきた新鮮な魚介類のバーベキュー。わいわい言いながらの味わいは格別であった。団扇を仰ぎながらのサザエのつぼ焼き、エビ、干物、そしておでん、最後は饂飩、甘酒も用意された。そこにワインや日本酒が入ったから当然盛りあがった。

飲み食いとおしゃべりもひと段落したあと、スノーシューズ(欧米型雪下駄)での散策とスキーに分かれた。ゆったりスキーの板を履くのは私にとって幾年振りかだが、板が雪に乗れた感覚を味わえて大満足。夜は夜で嶺方雨降宮諏訪社の火祭りで、これにも参加した。

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経が峰(津市:819㍍)に登山

1月10日、我が家から西の山を眺めると雪雲がかかっていた。年末の19日に鈴鹿山岳会の面々30有余人と宮指路(鈴鹿市:くしろ946㍍)に登ったが、新年を迎えてからまだ何処にも行っていない。思い立ったが吉日、西風は強かったが、1240分に愛用のマウンティンバイクで向かった。

経が峰口バス停まで強風と戦って60分を越え、登山口駐車場に1450分着と随分時間を費やした。登り始めると雪景色で、ニコニコ笑顔の自分がわかるほど嬉しかった。登山口までにエネルギーを使ったのか、頂上を17時と目指したが25分オーバーとなった。山小屋手前までで、9人の登山者と会う。

下山は4本爪アイゼンを着装したお陰で一気、自転車を止めた地点に18時、一休みする間に薄暗くなり、ランプをつけて家に帰着した。

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ネパールでのトレッキング

平成221019日から27日までの8日間、ヒマラヤを眺めながらのトレッキングに出かけた。気のおけない高野山大学山岳部OB8人での旅である。モーリス・エルゾーク著『処女峰アンナプルナ』(白水社)をドキドキして読んだのは大学2年生だった。本峰は見えないが、アンナプルナサウス、マチャプチャレを挟んで、アンナプルナ3峰・2峰を1日中眺めて歩いた。

コースは、ポカラからあまり遠くないダンプスからノーダラに続く尾根である。ここを天幕泊り2泊で楽しんだ。ポーターが作ってくれる揚げ物、複雑な香辛料使いの料理に幾分私は困った。しかし、天候に恵まれ、感激の連続であった。

ポカラからカトマンズに戻り、エベレスト(ネパール名「サガル・マタ」)を空から眺めるツアーに参加した。コックピットで、機長が「あれがエベレスト」と指差してくれた。  

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*昭和43年に、ネパール研究会を高野山大学山岳部OB会で立ち上げた。当時、殆ど入られていないロールワリン・ヒマールの山と谷の学術調査を目的とした。『雪と岩』22Cに沢山の写真と7頁の文章で報告。この時、私は仕事の関係で参加できず、留守隊で医薬品を送る役割を努めた。それだけに今回は感激であった。

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木曾・御岳登山  平成22年9月11~12日

前日に手帳で時間を確認、白子駅に9時と記載されていた。8時と思い込んでいたのが間違いと、当日朝ゆったりしていたところに電話、結果、出発を30分遅らせてしまった。目的は御嶽山(剣ヶ峰3,067㍍)で、久しぶりに仲間と一緒ににぎやかに登れる。

今回のコース取りは、古くから御岳講で知られている黒澤口、覚明行者によって開かれた道である。宿泊は、その覚明が天明2年に入り、修行したと伝える七合目にある行者山荘である。熊原政男著『登山の夜明け』によれば、覚明行者は、のちの天明6年に山頂の二の池付近で立ちながら入定したという。

12日夜中2時ごろ土砂降り、その後の強風を耳にしながら寝入っていた。朝、小屋を出る時に雨は上がり、ガスも我々の歩調と併せて回復、9合目では太陽が顔を出した。昨日、小柳氏が天地に祈り、その効果があったと皆で喜ぶ。山頂では再び軽くガスがかかったが、ここで記念撮影。車が御岳ロープウェイの鹿ノ瀬駅に有るため、再び同じ道を戻る。気心知れた男6人、楽しい登山が出来た。今回出会った動物は、車道での幼い猪と登山途中でチョコチョコ忙しげに動くオコジョであった。

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燕岳から槍ヶ岳へ 平成22年8月9~12日

平成2289日からスケッチ旅行を兼ねた山歩きに1人出かけた。初日は温泉三昧の中房温泉に泊まった。天候も良く、穂高駅前で自転車を借り、碌山美術館も訪れた。2日目は燕山荘泊まり。オーナーが夜話とフォルンで2曲演奏してくださった。山の話もしてくださり、高山植物から見れば、山頂は610日から春の始まりで、20日から夏、7月に入ると秋の準備という。

811日、発生している台風は日本海側を通るが、前線が気になる。西岳から水俣乗越に下った所でコース変更で槍沢に出る。

12日、樹林帯ゆえ風雨は弱められたが、嘉門次小屋で久々の岩魚定食をと、梓川を渡る時は飛ばされそうな風雨・・尾根線は大変だろう。と言うことで、残念ながら今回は画材を一度も開くことなく帰津した。

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         燕岳から槍ヶ岳を望む

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梶田民雄謹製のピッケル

 平成22616日、前三重県山岳連盟会長の田中均氏から「梶田民雄謹製のピッケル」の先を付けた額が贈られてきた。田中氏にすぐに連絡を取ったが、不在が続いた。ハッと思い「梶田民雄」をパソコンで検索すると、ホームページは抹消されていた。「工場長の”山ばっかり・・酒ばっかり・・”」に記された、「カジタックス廃業のお知らせ」が眼に飛び込んできた。「平成22年5月末日をもって・・」1961年創業から49年間の歴史を閉じたとある。そして、創業者「梶田民雄氏」が73歳で、「用具の製造に責任がもてなくなり」と記されていた。技術粋を屈して作られた記念すべき製品である。早速、私の書斎を兼ねた仕事部屋の壁面に掲げた。10年ほど前に、槍ヶ岳山荘で求めた熊谷榧さんの「朝の槍ヶ岳」と題した油絵の斜め上にこれを飾った。

20日に田中氏と連絡がとれ、話を聞くと、その昔の話で(田中氏は私より一回り上)、愛知県立工業学校の同級生つながりとのこと。梶田氏の入会していた春日井市の「名古屋アルプス会」リーダーの梅田氏がブランド「カジタックス」の廃業を惜しみ、バイオリン製作をする宇野氏そして田中氏と三人の同級生が組んで、シャフトをはずしたこのレリーフ状のものに幾枚か仕上げたその1枚と判った。古くからの登山仲間の田中氏を通し、お会いした事の無い皆さんに感謝である。

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大台ヶ原山の謎解きと紀伊半島縦断 平成22年5月2~4日

52日・3日、奈良県の宇陀市から吉野郡東吉野村、そして下北山村を経て三重県熊野市に抜けた。昨年の連休に登山仲間と大台ヶ原山に行き、以来、この山に関しての謎解きに再度火がついた。

今回は正月、そして休日も山登りに出かけず、百冊ほどの関連図書を読み直し、想像の世界に浸っての謎解きである。

宇陀市と東吉野では、水銀や銅やマンガン等の鉱山跡や伝承地をあちらこちらと尋ねた。吉野の蔵王堂は松浦武四郎の関連で訪れた。そして修験道山伏の行場の前鬼は、以前から一度立ち寄りたいと思いつつ今回初めて訪れることが出来た。

この旅で、多くの人との出会いもあった。88歳の鶴谷氏は、飛び込みの私だったのに、採掘跡をあちらこちらと案内してくださった。また、千二百年、修行者を補佐し続けた61代目の五鬼助氏と、偶然だったがお会いできた。

大台ヶ原山の懐にある入之波(しおのは)温泉に宿を取り、真っ裸で浴室に入ると、「オー」と湯舟からこちらに手を振る人が居た。思いもかけない2代目半泥子の川喜田氏であった。

天候にも恵まれ、気心知れた登山仲間の楯氏と、大好きな紀伊半島縦断の有意義な旅が出来た。

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     三尾鉱山跡(下)と鶴谷氏(上)

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      前鬼の里(下)と五鬼助氏(上)

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位山での冬山研修 平成22年2月12~13日

三重県山岳連盟が主催する、冬山登山スキー大会に今年も参加した。今年度は、岐阜県の市町村合併で高山市となった「位山(くらいやま:1628㍍)」である。モンデウススキー場から尾根続きの山である。

11日夜、山岳連盟の準備した夜行バスに乗り込む。すると、大川幼稚園の卒園生、平野信長君・華子ちゃん兄妹がご両親と乗り込んでこられ、互いにビックリ。信長君とお父さんは登山、華子ちゃんとお母さんはスキーとのこと。

翌朝はバス内で仮眠。山は、樹氷とダイヤモンドダストで迎えてくれた。訓練のためビーコンを着装、この訓練は第2日目とのこと。固い雪にうっすら新雪、アイゼンもワカンも不要で、実に歩きやすい。しかも、山頂では青空が顔を出してと最高。登山隊は幾分早く下山のため、近くの臥櫻温泉でゆったり。夜は、古風だが旅館並みに整えた民宿「甚左衛門(℡0577532681)」での宴会となる。

私は翌日登山隊と離れ、スキー隊に混ざって半日板に乗って楽しんだ。

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左から、20代からの山での付き合いの根元氏、民俗学会仲間でもある若林氏、県の登山技術指導に欠かせられない亀井氏。

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       鈴鹿山岳会登山班8

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登山仲間との忘年会山行

私が所属する鈴鹿山岳会の仲間が1219日に鈴鹿山系麓にある小岐須山の家(鈴鹿市営)に30人ほど集まった。3040代もいるが、主流は定年退職者の60代である。私が言うのも変だが、毎週或いは3日と空けずどこかの山に入っているから驚く。

20日、小屋からしばらく林道を歩いてから谷に入り、松の木谷の一本南の尾根からイワクラ尾根に上がった。この尾根は入道ヶ岳山頂から峰続きで、椿大社の奥の院のさらに西に自然石の重なった「イワクラ」と呼ばれる二つの不思議な場所がある。不覚なことだが、外気に晒されていた液晶カメラでこのイワクラを写そうとしたところ、画面が出ないほどの冷たさであった。昨夜の異常な強風と冷え込みで、氷点下を幾分割ったのだろう。そういえば、沢の各所に氷が張り、太い霜柱も目立ち、尾根筋には雪が残っていた。

帰路は、太く成長した蔦が木や岩に絡みつき、木の葉の落ちた枝分かれが綺麗なブッシュ帯の大岩谷を下った。仕事に追われ、8月以降は30年来行っている登山道補修の下見に一度入っただけだった。凛と冷たく張り詰めた大気だが、皆の明るい笑顔の中にいる幸せな日が過ごせた。

1週間後の26日、三重県山岳連盟主催の忘年会が近鉄日永駅近くで企画されている。こちらはこの20年間県を引っ張り続けた今は50代になった人たちが主流である。三重県の海外登山の草分けの人々である。2月の冬山登山講習でまたお世話になる。こちらも楽しみである。

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穂高岳登山 平成21年8月9~13日

平成21年8月9日~13日
 お盆休みは長期予報では天気が良さそうと、9日に沢渡の温泉のある“ペンションしるふれい”が予約してあったので出かけた。熱帯低気圧が台風に変身のため、2泊お世話になる。
  11日、天候よし、7時30分のバスに乗車、8時上高地着。すぐに歩き出し、11時20分横尾着、昼食。13時00分本谷、15時30分涸沢着。随分長く涸沢に入っていなかったため涸沢小屋が新しくなっていたのを知らなかった。夜、ご主人の姿があり、「高野山大学山岳部時代にお世話になりました」と声をかけさせていただくと、「あれは何年ごろでしたか、この小屋の下にテントを張ったり、そう凍傷に誰かがなられましたよね」と覚えていて下さった。昭和40年から45年までの正月は、今は冬季小屋のあるその壁下か小屋下に毎年度テントを張っていた。昭和40年に低気圧の通過の読み違いで、後輩を凍傷にあわせた。当時、小屋は新築されたところで、ご主人が正月に入られ、そこに日本大学OBが雪崩と雪の研究をされていた。我々の必読書『冬山ゼミ』に記載の日大遭難に関わる研究で、この方のお陰で東京八重洲口の凍傷権威の医師に正月2日早朝に診察してもらった。
 12日は天候に恵まれて奥穂高岳を往復、13日小雨の中を下山、上高地に11時30分に着き、予備のシャツを使っていたため、五千尺店で1枚購入して着替える。これより時間のロス無く、JR松本駅も臨時特急、18時30分に帰津できた。Img010

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八ヶ岳の天狗岳 平成21年7月20〜21日

 2連休に久しぶりに仕事が入っていなかったため、急遽山行き計画を立てる。茅野市の奥、三井の森からさらに入った処に強力な炭酸泉の唐沢鉱泉があり、ここで泊まる。翌日天候も良く、7時40分に南八ヶ岳の中の天狗岳に向かう。黒百合ヒュッテまでは、樹木は幾分細く種類も違うが、太い切り株や倒木に苔が被り大台ヶ原の雰囲気。但し足場が悪い。
 13時、標高2,946mの天狗岳山頂。360度景観良し。同年齢のゆったり歩き屋2人のため、ここからさらに時間がかかり、17時25分唐沢ヒュッテに帰り着く。2人合わせて136歳は計画より25分遅れのコースタイムであったが、実は40%増の歩きと湯に浸かって大笑いとなる。


 
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大台ケ原山登山 平成21年5月2〜4日

標高1,695mの日出ヶ岳を中心にした大台ヶ原山で、古い山仲間7人(鈴鹿山岳会)と楽しい日々を過ごした。
初日にビジターセンターでレクチャーをうけ、翌日は西大台の開拓方面をゆったり周遊。逆峠ルートの展望台少し手前の巨木で記念撮影。 大台の巨木といえば、今は通行止めだが、西谷小屋からたぬき峠に抜ける林道途中に4〜5百年以上は生きてきた巨樹がある。三重県の巨木に指定されていないが群を抜いている。大台は、昭和36年、スカイライン工事中に初めて訪れ、全国高校総体や三重国体のコースであった関係からその準備も含め幾度も訪れた。ここ20年は、大台教会の田垣会長ご夫妻に何かにつけてお世話になっている。今回も我が儘させてもらった。
4日朝、全員で祈祷をしてもらって帰路に着く。途中、小処温泉でゆったり、楽しかった。


 

 

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御在所岳登山 平成21年4月26日

 標高1,209.7mの御在所岳に、津南ロータリークラブの山登り同好会員6人で登る。
 今回は、昨年の集中豪雨で破壊された小屋を支援する「藤内小屋を応援する会」へのカンパも兼ねた登山とした。場外も含め30,240円集まり送金。
 山では、途中、山伏姿の若いご夫婦に出会い、法螺貝を吹いていただき、写真も一緒に撮る。その後、小雨と強風で、山頂からすぐロープウェイで下山。昨日の大雨で参加者は半数となったが、とにかく楽しい山行ができた。


 

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野伏ヶ岳登山 平成21年2月6〜8日

両白山地の標高1,674mの野伏ヶ岳で三重県山岳連盟主催の「冬山登山大会指導者講習会」が行われ、これに参加した。

7日晴天:6時仲居神社集合—牧場—ダイレクト尾根—野伏ヶ岳—北東尾根—牧場解散。若い方々についていけず一杯一杯、萩県岳連理事長から「大川先生、登ってくる気ありますか〜?」とはっぱが飛ぶ。加齢を感じつつも皆さんにお世話になり、楽しい登山が出来た。

8日晴天:午前中イトシロシャーロットスキー場で、幾年ぶりかの滑りを楽しんだ。


 

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太郎平から双六へ 平成20年8月9〜14日

20年間途絶えていた山のスケッチ再開の山行きに出かける。絵付けまで山でするため約60分かかる。1日2枚ゆえ相棒を作らずの単独行とした。

9日晴:富山地鉄ホテル宿泊。

10日晴天:富山駅6:10=8:00折立(1,356m)8:30−13:50太郎平小屋。五十嶋博文さんとは30年間年賀状のみの付き合いと成っていたが、出会いが強烈だっただけに非常に喜んでいただけ医療班専用室でゆったり泊めていただく。食事もスタッフと一緒で楽しい雰囲気の中にピリッとした緊張で学ぶところが多かった。

11日晴天:小屋7:40−16:45黒部五郎小屋:途中、雷鳥と野兎に出合えた。

12日晴天:小屋6:00−13:00三俣蓮華13:10−15:35双六小屋:今日の2枚は程ほどに描け、楽しさが少し戻った。

13日晴天:小屋7:15−10:15鏡平小屋10:45—15:45新穂高温泉=新平湯。槍ヶ岳ではスケールがまだ表現できないが、スケッチ再開の山行が出来た収穫は大きい。

14日:帰津。


 
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槍ヶ岳の春 平成20年5月2〜6日

槍ヶ岳:仲間と日程が会わず、単独行。
加齢による身体能力の低下に伴うエラーを考慮の登山を準備段階から心掛ける。信州側から飛騨側横断で、春夏を通して7回通っているが、とにかくゆったりタイムで調整。反省事項としては、最近まで天幕を担いでの登山癖で、装備の軽量化が今回も課題。平小屋で、今まで想像できなかった雪崩現場を確認し、やっと謎が解ける。

2日晴:津発、松本駅前ホテル泊。

3日晴天:松本8:50=10:30上高地11:00−14:15横尾14:30−16:45槍沢ロッジ。

4日晴天:ロッジ7:10−15:30槍ヶ岳山荘。

5日濃霧:山荘6:30—9:00平小屋9:30−14:20新穂高14:50=15:25平湯。

6日帰津。


 

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