学校法人 大川学園
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日本文化/神仏先祖

御霊祭り

 723日、津駅西口の三重県護国神社において「万灯みたま祭」が開催された。7千余灯の赤や黄色の提灯が境内の周りに幾段にも飾られ、英霊に対する感謝の祭りである。鳥居近くの入場歓迎の大きな行灯の表裏の絵は、大川幼稚園と津西幼稚園園児たち担当で描いたものである。境内の中央には舞台が組まれ、盆踊りが行われる。

1830分から宮司さん他の禰宜の皆さんによる神祇が始まり、私はここに参列させてもらった。御祓いに始まり、詔が延べられ、幾度もの柏手。儀式が終わり、点灯。ここで賑やかな雰囲気に場面は一変する。津々浦々に境内に集まった人たちは、点灯行事が終わると賑やかな音楽と太鼓にあわせての盆踊りに参加である。ことに子ども達は笑顔一杯である。

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久々の高野山

 529日、高野山大学同窓会の役員会と総会が開かれることから久し振りに高野山を訪れた。総会後の懇親会では特別ゲストとして西野亮廣さんの講演があった。芸能活動の傍ら『えんとつ町のプぺル』を著した絵本に懸けた思いとその実行の話を聴かせてもらった。幼少期からの思いに始まり、絵本をコンサートと同じように参加型にし、原画展示会の企画を誰にでも無料で貸し出し、絵も物語も著作権も無し、云々で結果、絵本だが脅威の30万部の読者をつかんだ。その出発点からの発想と実行の仕方に一つひとつ驚きとうなずきで聴き入ってしまった。

在学生の参加もあり、彼らへの刺激は私の幾倍ものものがあったようだ。講師を交えての懇親会は3年前と違って学生諸氏が実に明るく、私の話し掛けにも積極的になって入ってきてくれ、中盤頃には講師を交えて車座になっての議論と・・実に嬉しい姿がみられた。

夜は私が高校時代にお世話になった釈迦文院に泊まらせていただき、朝の勤行で両親の供養もしていただいた。昼前に入って翌朝に下山と慌しい中であったが、充実した時が過ごせた。

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結城神社の梅園

 平成29228日、津市内の結城神社で津南ロータリークラブの訪問例会があり、境内にある梅園を楽しませてもらった。天候も、開花の状態も、仲間もよしで、これ以上申し分無い条件で訪れることが出来た。

この神社、新田義貞と共に鎌倉幕府を滅ぼし、建武中興の立役者の結城宗弘を祭神としている。その後に京都をおさえた足利尊氏と戦って破れ、海路で福島に戻る途中、時化にあい、強力な南風に流されこの地に漂流しここで亡くなったと伝わる。戦後先々代宮崎宮司が、23月の参拝者が少なくなる頃に楽しんでいただけるようにと植え始め、30年前に一大梅園を完成させた“結城神社しだれ梅園”である。寒紅しだれ・八重緑額しだれ等三百本が咲き誇り、今では東海三県のみならず近畿圏からもバスを連ねて来る一大名所となった。

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アスト津でクリスマスツリー点灯

 1116日、アスト津の正面フロアの吹きぬけで、クリスマスツリーの点灯式が行われた。日本の文化となった行事として大川幼稚園児の年長児45名が参加した。園児による点灯で、ツリーとその周囲で使われたLED(発光ダイオード)電球1万個が輝いた。県内を中心に活動する中村純子さんのキーボード演奏、続いて、園児たちのクリスマスソング3曲で盛り上がった。

ツリーの高さが7㍍とあって、園児はぐーんと見上げながら、「ピカピカひかってきれい」「もうじきクリスマスでうれしい」「プレゼント何がいいかな」と、思い思いの夢を描いて友達と笑顔いっぱい。実にいい顔をしている。

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我が家の法事で思ったこと

 大川学園創設に重要な役割を果たした祖父の50回忌と母の13回忌の法要を1030日に身内だけで終えた。まず家の仏壇で理趣経読経、場所を菩提寺の密蔵院に移し、本堂での宗教音楽でもある声明と理趣経読経、続いてお墓での般若心経読経と続いた。孫たちも神妙な面持ちで、香を摘んでのお参りである。

理趣経は、喜怒哀楽を認め、欲望も大欲とすることで清浄なる方向を求めて肯定する論文である。一般の方には僧侶が亡き人のために、とのように聞こえるが、先祖のお陰で今生命をつながせて貰っている我々の生き方を導いていると私は解釈している。ただ、読経に伴う不殺生に始まる十善戒は、私にとってほとんど破っているため、心に痛く響く。仏教学を学んだ私ゆえ曲がりなりにも自己解釈しているが、一般の方々にとっては陀羅尼で意味不明である。

教育基本法では、第14条で政治教育、第15条で宗教教育として、共に同じような内容になっている。だが、後者は総て否定した日本の70幾年かの教育界である。誰一人欠けても存在しない貴重な命を継承してきた祖先への感謝と、力強く生き抜く教えは今後どこへ行くのだろう。

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高野山真言宗三重が大会開催

 1026日。四日市市文化会館で“特別伝道、枢議・参与・檀信徒研修会”を開催し、枢議として参加した。お陰で、久しぶりに管長の大僧正中西猊下と昼の合間にお会いできた。昔、猊下の本坊で高校時代の1年半生活させていただき、大学1年の夏に2人で天幕を担いで燕岳から槍ヶ岳へ縦走をご一緒させてもらった深いご縁がある。当時と比べて割腹が良くなられ過ぎたことと、全国を駆け巡る忙しさの日々というご多忙の中、お元気さを感じ嬉しかった。

 大会は、150人の“さくら幼稚園”年長児による“いろは歌”に始まり、奉詠・奉舞、そして猊下がご導師での“大般若転読法会”と午前の催しが進んだ。午後からの二部は、福祉助成での寄付、他が続いて、私は枢議代表で猊下から壇上で感謝状を受ける役割となった。第三部は、夜回り先生で知られる水谷修先生の特別講演で、深い感銘を受け、考え、反省する貴重な時間となった。

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30年来のなじみ4人の大集合

 世界一周の船旅から帰ったばかりの南山大学教授で三重大学名誉教授の目崎茂和先生、前三重テレビ社長で日本シャクナゲ学会会長の志田行弘氏、三重ふるさと新聞会長で津城復元会長の西田久光氏、そして私の4人が久し振りに45日、津駅前の“伊勢門”に集まった。30年とか40年前に出会っての付き合いだが、三重県好きで、議論好き、とにかく実に楽しい人々である。

話題は自己報告的一面からそれぞれに口切をする。そのうちに、三重県の偉人柳橧悦の話に移り、御木本幸吉に関連し、さらに二ノ宮尊徳へと話題はドンドン深まる。小田原の報徳二宮神社と幸吉の寄進の話からは、「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」との理念と戦略についての話題となり、今の格差社会への強欲資本主義をゆり戻すのは尊徳論以外に無いとの話題への発展である。何時出会っても話題は事欠かない。学園のことも少し振ればとことんヒントがもらえる。

個々人の事では、私の著書の水銀の話から秦氏の日本での役割についての議論になり、西田さん夫婦の歩き遍路(四国八十八ヶ所巡り)からは本来三重県人にあったはずの「施」の議論、世界旅行の船旅での10幾回に及ぶ講演の話からの展開、ネパールのシャクナゲ探索の話から三重の巨木へと、話は尽きずあっという間に4時間半過ぎた。酒を吞まない2人が混ざっているのだが、次回は5月に集まろうということで別れた。

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高野山大学同窓会三重県支部発会

 平成27617日、ホテルグリーンパーク鈴鹿で 高野山大学三重県支部の発会式と懇親会を開催した。同窓会は、東海地区会として愛三岐静の4県で一本化しており、私がその会長になっている。だが急激に変化する今の時代において、親密化と大学支援のきめの細かさの必要を感じ、それぞれの分離の第一弾とした。呼びかけに対し、卒業生25名、そして支援者を含むと34名もの方々が集ってくださった。会員のほとんどは真言宗寺院の住職だが、数名は私と同様の在家者である。

三重県支部長に、松阪市で“初午の岡寺さん”で知られる継松寺柏木文雄住職を推薦したところ、満場一致で選ばれた。この会を通じて、大学のサポートのみならず、宗派を超えた地域交流を思う。飛鷹大学同窓会事務長や新三重県支部長を取り巻く若き卒業生の姿を見ていて、ふと、教育基本法第15条“宗教教育”が、前条の“政治教育”と同程度の力で学校教育に取り込まれるべきを訴える核になるかも知れないと想像してしまった。さて、発会式に続いての懇親会、実に和やかで賑やかな時間帯が続いた。

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王朝文化の斎宮(さいぐう)絵巻

 67日、“斎王(さいおう)まつり”が明和町の国史跡で開かれた。配布された案内に33回目とある。しかし、飛鳥時代から南北朝時代までの660年間、伊勢神宮の祭祀に奉仕した皇女の都から伊勢への群行の再現である。「まつり」と言っても、宮殿と役所跡の国史跡での行事、そして斎宮博物館学芸委員の助言の元での儀式と行列だけに歴史観の重みがある。

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 史跡の一角に位置する柳原地区に、斎王の宮殿“内院(ないいん)跡”があり、時間があったので先に訪れる。現在、正殿・東脇殿・西脇殿の三棟の復元整備が行なわれている。「トントン」とリズミカルに幾人かで桧皮屋根葺に竹釘を打つ音が響いて心地よい空間になっていた。完成すれば、再現儀礼がここを中心で行われるのだろう。

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 一方、芝生公園の方は、雅楽の響きのもと十二単姿の斎王が“禊の儀”“発遣の儀”を行い、その後、斎宮王は輿(こし)に乗る。随行者ら120人がそれぞれの衣装できらびやかな行列をつくり、1.7㌔を練って斎宮歴史博物館に向った。日本の文化遺産ブームもあいまってか、例年より更に多くの人々がカメラを構えて沿道にあふれた。

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津市内の観音さんで鼓笛隊演奏と豆まき

 2311時から、高い舞台の上と下にわかれて「マイアミビーチルンバ、オブラディオブラダ、恋するフォーチュンクッキー、スターラブレーション」の4曲を演奏。冷たい風に吹かれながらも、境内一杯に集まった皆さんの前で、胸を張っての演奏。その後、98人が三交代で高い舞台からの豆まきをした。

今回の催しは、「ロータリーデー」として、節分に併せて市内四つのロータリークラブがこの寺院の催しに併せて企画したものである。ここに津西幼稚園が招かれた。演奏後、“ちびっ子豆まき”として、ロータリーの四人の会長と一緒に枡に入った豆を眼下の沢山のお客さんに向かって楽しげにまいた。

午後には同じ舞台の上で、津観音寺で江戸時代に催された“鬼押さえ”を寸劇にアレンジした催しもある。そこに出演する鬼も、津市のゆるキャラ“ゴーちゃん”と一緒に園児たちを迎え入れてくれた。

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大学山岳部OB会で仲間の追悼供養

 1126日、恩師宮坂先生、氏家先生、仲間の平瀬、池上、崎山の3岳兄の5人の追悼供養のため、奈良県の信貴山に高野山大学山岳部OB会の有志10人が集まった。物故者の仲間達は、冬の富士山合宿や同穂高岳合宿そして剣岳周域や藤内壁の岩場を共にし、一方では紀伊半島の護摩壇山等の奥高野山々の国定公園承認のため、小屋補修や登山道整備、そして道標設置にパンフレット作成も含め情熱を注いだ間柄である。

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先生方も仲間も酒をこよなく愛し、誇るべき社会貢献も精一杯した者ばかりである。山岳部顧問の宮坂先生とネパール遠征を共にした氏家先生の他、平瀬氏は戦時中九州の炭鉱に動員された朝鮮人遺骨の収集、池上氏はタイやビルマに長年井戸を掘り、崎山氏は高野山役場の秘書等で奔走した。ただ全員酒が深すぎ、それが命を削ったきらいはある。

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5時半に起き、6時から千手院護摩堂で毎日催されている護摩供養に参列、場所を本山の朝護孫子寺に移して大般若、再び千手院に戻って別堂での追悼法会となった。

移動は雨で真っ赤な紅葉がいちだんと迫り、朝の冷気と相まって、聖域をより聖域として我々を迎えた。現世利益の強烈なこの山の毘沙門信仰、来世に生きる諸氏と現世の我々をつなぐ働きと、“生きる”を感じた祈りの時間が持てた。

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月読宮お白石奉納

  9月28日、「つきよみさん」の愛称で知られる“月読宮”での“お白石持行事”が行われた。進修小学校の運動場に集合し、9時30分より挨拶ののち、子ども木遣りが披露され、続いて若衆の木遣りで奉賛者一同気を引き締め、10時に片方が150㍍の綱を、伊勢音頭のヤットコセと木遣りに併せて引っ張る。
今回は、四郷奉仕団(一宇田・鹿海・楠部・朝熊の4町に中村)の領民として参加させていただいた。白布に白石をいただき、砂利道を踏んで中に入る。森の中に四棟の別宮社殿が横一列に並ぶ芳しい匂いの真新しい社殿にお白石を納さめさせていただく。そして、御魂はまだ移られていないが、右側から順に、天照大神の弟君の月読尊荒御魂、月読尊そして両親である伊弉諾尊と伊弉冉尊と4社に手を合わせる。
今回の遷宮では、御神木の川曳き、外宮での遷御の儀、そして別宮の白石神事と参加させていただいた。次は90歳代に入っているため、今回が最後の奉仕参加と感慨深い。準備や段取りをお取りいただいた多くの皆さんに、感謝、感謝である。
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路地のような区画での夏祭り

 久居保育園において、726日に夏祭りが行われた。老人センターと保育園の間の520㎡弱のウッドデッキに、園児とその保護者等480人ほどが集まって、楽しい催し満載の時間を過ごした。

コーナーに分かれて、風船つり、ボールすくい、輪投げ、お手玉、面づくり、紙飛行機投げ他、先生達が腕によりを掛けて企画した遊びができる。おじいちゃんおばあちゃんの参加も多く、孫につられてあちらに行ったりこちらにいったりで笑顔笑顔である。やがて、先生達による変身でのユニークな踊りでは園児は大はしゃぎ。隣接する老人福祉センター日舞サークルの特別参加での総盆踊りへと続く。

狭い空間ゆえだろう、人と人との素晴らしい交わりの輪の広がり生んでいる。子ども達にとってだけでなく、保護者にとってももたらすものの多さを私は感じる。神仏の姿は無いが、昭和30年頃の、路地の四辻や小さな寺社境内での祭りに内在する何かである。

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祖先崇拝と忌上げ法要

518日、菩提寺からの知らせに基づいて、50回忌、37回忌、17回忌の法要(法事)を行った。50回忌の人は、終戦直後、婦人会の人たちに乞われ、母と共に洋裁塾を立ち上げた叔母である。これを最終年忌の仕上(忌上)げとし、祖母や父と合わせての法事である。

日本人の来世観は、死後50年間、時には百年、肉体は消滅するが、我々とは異次元の世界で生きていると考えている。最終年忌を境に、大きな祖霊となってさらに別の異次元世界、時には神の世界に住む。日本の神仏混淆の祖先崇拝なのだろうか。そこで、忌上げまでもその後も今生きるものを見守り、生きる我々は祖先に恥じない善行を積み重ねる規範にそれがつながっている。法事を「追善供養」ともいい、先祖を敬い、生き方の引き締めをする。

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お彼岸さん

 この時期“ごんぎつね”の新美南吉が話題となり、曼珠沙華、そして秋の彼岸と成る。923日、天候もよく、菩提寺の密蔵院に守ってもらっているお墓に花と線香を持参して訪れる。バケツに水を満たし、お墓石の垢を落とし、お花を供える。灯した線香の煙が天に上がり、良い香りが漂う。般若心経を一巻あげる。

 若い頃と違い、先祖に今の学園の状況を伝えるようになった。先祖の誰一人欠けても私はこの世に存在していなかった。今の仕事も、先祖が残した土地を法人に全て寄贈して成り立っている。我が家が戦後、教育に取り組んだのも、時代の流れに期待され、そこに技術者と教育者が揃っていたゆえ、自然発生的にはじまった。しかも食べものが無い時代にそれが出来た背景も先祖のお陰である。

今の私の仕事も、そうした中で天に与えられたものと感謝し、苦しい時代だが地域に役立つ教育環境を求めて全力投球している。

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教育にしっかり伊勢神宮を位置づけたい三重県

 三重県教育委員会が『知ろう語ろう伊勢神宮』というパンフレットを、県内小中学生にこの夏休み前に配布した。副題が「平成25年は20年に1度の“式年遷宮”の年です」とされた四つ折のものである。戦後68年目にしてやっと三重県が伊勢神宮を教育の中に取り入れたパンフレットである。西行の「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」の和歌も紹介されている。「伊勢神宮鎮座の歴史」として日本書紀の紹介があり、外宮の豊受大神のことも紹介されている。

このパンフレットと関連して、『三重の文化 郷土の文化編』が三重県教育委員会から少し前に発刊されていることを知った。三重テレビの「ニッポンふたり語り」出演時、共に紹介した。郷土教育の中学校用教材として発刊されたものである。「専修寺と一身田寺内町」、「十一面観音」がそれぞれ半頁、「伊勢神宮」が1頁を使っている。やっとこの県において、この県の成り立ちの根幹たる伊勢神宮と向きあった教育が始まった感じた。

3年前、島根県に県立の出雲大社の歴史博物館が出来て訪れたとき、2校の中学生の団体と出会った。共に学校行事としての博物館見学と大社参拝であった。三重県にも伊勢神宮と共に歩んだ歴史の県であることを認識した教育を望みたい。世界に類を見ない多神教の共生と循環の思想も教育に取り入れて欲しい。多角的な宗教倫理に基づいた道徳教育の一面も欲しい。

このパンフレットと冊子の発刊がその一歩になることを、大いに期待している。

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多神教の民を感じるお正月のお参り

除夜の鐘で、百八の煩悩をちょっとだけ消したつもりになって床に入った。目覚め、仏壇におせち料理と雑煮そして福茶を供え、蝋燭と線香を灯し、家族揃って般若心経を唱えた。その後、お節料理を開き、雑煮をいただく。

元旦の仕来りはさらに続き、津駅の東西(旧称「下部田:しもべた」)に住む人々を守る産土(うぶすな)さんの丹生(おに)神社にお参りに出かける。鎮守の森の長い急な階段を上がった社殿前の境内で、氏子の世話人が大篝火を焚いていてくれた。本殿内で神職は、参拝者の願いが神さまに届くようにと、一人ひとりに太鼓を打ち、声を掛けてみえた。私は、お賽銭を入れ、手を合わせ、1年を越させていただいた感謝と、学園に出入りする人々の今年の守護をお願いした。このあと神棚用お札をいただき、運勢のお神籤(みくじ)を引き、のち火にあたりながら甘酒をいただいた。

神社の帰りすがりは、我が菩提寺である密蔵院に立ち寄って、先祖や仏・菩薩に手を合わせ、のち家路に着いた。

この一連の慣わしは、正に世代を超えて受け継がれてきた神仏混淆の多神教の正月である。私たち日本人が、毎年心を新たにして、次の時代を生き抜く大節(せち)の精神文化を感じ、生かされていることに感謝の日である。

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平家伝承を訪ねての神戸

 1125日、斎宮歴史博物館友の会主催で、平家ゆかりの地、大輪田泊や一の谷方面を訪れた。今回の講師は、中京大学文学部准教授の德田由明先生である。

 清盛歴史館駐車場に入る時、神戸マラソン大会で大勢の人々が集まっており、何か我々を迎えに出向いてもらったような面恥ずかしい感じではじまった。

 最初の散策では、清盛塚そして清盛が剃髪した縁で僧円實が亡骸をおさめたと伝える能福寺へ、そして1時間少々歩いてこぢんまりとした特設の清盛歴史館に入った。

午後は平敦盛ゆかりの須磨寺、のち須磨浦に移動して敦盛の供養塔、そして一条谷を訪れた。德田先生の説明を受けながらの移動であったが、元木泰雄著『平清盛と後白河院』の一部分のコピーを配布しての一の谷合戦の奇襲と奇謀の話は私の興味をそそった。

天候にも恵まれた。バス270名の参加者は、今回の散策の旅を満足して帰路についた。

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食事は人育ての教育の場

寺院での僧侶の食事(じきじ)は、五観が原点となっていて、食べる前に五観の偈を唱える。「一つには、功の多少を計り、彼(か)の来処(らいしょう)を量るべし」にはじまる五項目である。

この「一つには」の言葉は、食事が食卓に届くには多くの労力と手間がかかっていることをよく観なさいという教え。二つ目以降は、食事を取らせていただけるだけの徳行があるか否か考えなさいとの問いかけである。また、食事は命を保つ良薬と感謝していますか、食事も仏道を成就する道の一つと心得ていますか、といった自分自身への問いかけを食事の前に行うのである。各家庭で、全員がそろって、姿勢を正してから手を合わせて「いただきます」と唱える原点である。

 伊勢神道では、命を受け継ぐ食事との考え方のようである。神宮に詣でるときは、最初に食べ物の守護神である外宮の豊受大神へ参拝する。そこで、昨年1年間自然の恵みを有難うございました、今年も一生懸命働きますので豊かな恵みを得て健康な1年でありますようにと祈る。その後に、遠親である天照大神を祀る内宮に参拝をする。

内宮では、大嘗祭に結びつく新嘗祭の儀式が毎年行われている。新穀を供える儀式であり、大嘗祭には即位した天皇が新穀を食べ祖霊の魂を受け継ぐ儀式である。即ち、「命をいただき、命をつなぐ、いただきます」に繋がる魂の儀式である。

小中学校の教育を担当する教員職の方々は、宗教だとはねつけるので無く、その根底に流れる日本文化としての宗教倫理を、「食育」と「命の問題」と判りやすく子どもたちに導いてはどうだろう。

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真言宗智山派の本山智積院での追悼法要に参加して

我が恩師は2期本山の管長を勤められた方である。その宮坂宥勝先生は、昨年111日に89歳でこの世を去られた。昨年末の1210日に、長野県岡谷市の自坊で1周忌を終えたところだが、本山では3.11もあり自粛して今回2月9日の追悼法要となった。総本山智積院化主第68世の就任されたその儀式にも参加させてもらった。今回も300人ほどの僧侶による読経は、金堂内に響き渡り、在家の私にとって久々の荘厳さに酔い浸った。

大学2年生の時から週に2日はお邪魔をし、卒業後の私の転換期の相談、結婚の仲人、父の葬儀の導師までお願いした。生前いただいた沢山の言葉が次々と走馬灯の様に湧いてくる。3年前、大学山岳部OBが諏訪市に集まり、先生の米寿のお祝いをした事が昨日のことのようである。

この先生に出会って、多くの仲間ができ、何事も積み重ねる大事さを知り、何事にも興味をもち臆さず挑戦することを学んだ。

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斎宮友の会で木津川の神社仏閣を訪れた

1122日、バス278名で南山城と木津川の歴史と文化の勉強会に出かけた。コースは、紅葉の松花堂庭園、日本三代八幡の一つの岩清水八幡宮、禅寺の一休寺、南山城と木津川の歴史と文化を紹介するミュージアム山城、最後に恭仁(くに)京国分寺跡であった。

岩清水宮での昼食の箸袋に、「たなつもの 百の木草も天照す 朝よひに 物くふごとに豊受の 神のめぐみを 思へ世の人」との本居宣長の詩が紹介され、食の大切さを説いていたのも心に残った。

この旅でインパクトがあったのは、夕闇前の恭仁京史跡であった。遥か昔を偲ぶに相応しい最高のロケーションとなったその下で、岩清水から合流していただいた同志社大学嘱託講師の井ノ口史先生の聖武天皇の遷都や万葉集を交えた説明を受けた。

都を、平城京から恭仁-難波ー紫香楽(しがらき)と都を移し、再び平城京にもどした聖武天皇の話。東大寺の大仏造立と国分寺整備の大事業、計ることの出来ない天皇の思い・・七重塔の礎石、柿木と夕闇、そして先生の話にいにしえを偲び、夢馳せさせていただいた。

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『流れる水は先を争わず 立松和平追想集』

 聞き手に情景を思い浮かばせる話し方の素晴らしさも伴ったのか、大川幼稚園PTA講演会の講師漆原智良さんにお礼を申すつもりが、突然涙で詰まってしまった。

 漆原さんは、若い頃に立松和平さんのお父さん(横松氏)にお世話になり、その頃毎日のように幼い立松さんに童話を読み聞かせていたという非常に立松さんとご縁のある方だった。

 立松さんは、私が30数年前に書いた『鈴鹿山系の伝承と歴史』を読んでくださり、東京新聞発刊の『岳人』に山と信仰の関わりを連載している関係から、2年前に御在所岳への同行を依頼されご一緒した。湯ノ山温泉で夜を共にし、翌日俗に言う裏道を案内した。ぽつぽつとした語りで、それに答えていると突然会話が途切れる。あれっと振り返ると一心にメモをとられていて、終わるとにっこりされ、またゆっくりとした歩調で登ってこられる。その前夜も自然派的で、初めてお会いしたにもかかわらず、古い仲間が久しぶりに戻ってきたような感覚に包まれた、そんな雰囲気の方であった。

 この講演の数日前、『岳人』編集部の古庄氏と久しぶりに立松さんの話をしたところであった。出会いの縁の深さは、時間の長さではないとつくづく感じた。

 66日、北方謙三氏の弔辞に始まる先の題の立松和平追想集が漆原さんより送られてきた。日本の多神教の世界を優しく書ける貴重な作家であっただけに、残念と偲ばれてならない。

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神宮奉納に参加して

岐阜県大垣市の「オ-ケーシー食品」と鳥羽市国崎の「くざき鰒(アワビ)研究会おべん」のコラボレーションで出来た「鰒米麺パスタ」他の産品を神宮に奉納した。国崎で熨斗(のし)アワビを作るときに出た端材を粉末にし、米粉に混ぜ込んだ麺である。この農商連携は三重大学の渡辺明名誉教授の提案で進められたもので、教授のお誘いで私も参加させていただいた。

奉納品は宇治橋を渡って神楽殿までの運び入れで、のち、全員で垣内参拝を、再び神楽殿に戻ってお祓いに続いて神楽の奉納、実に心地よい緊張が味わえた。参加者90余人の職種も地域も多様性豊かで、この奉納を応援し見守る姿の表れであった。お陰で、思わぬ人との様ざまな出会いの場所にもなった。本日125日、空は晴れわたり暖かな気温は適度で素晴らしい日であった。

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産土さんで七五三のお祝い

1115日、大川幼稚園・津西幼稚園・大川学園幼児舎の全園児で、こんもり茂る森の中の小丹(おに)神社(津市上浜町6丁目)に参拝に出かけた。その昔の大部田村の8社が合併した、延喜式に載る産土(うぶすな)社である。「産土」とは、その地に生活しているの氏子を守る鎮守であり、妊娠6ヶ月の腹帯び祝いや、出産後の100日祝い、或いは七五三と、子どもが元気に育つ見守りのお願いと、成長の報告に訪れる習わしがある。大川学園の本部は津市大谷町にあり、この地の産土さんが小丹神社というわけである。

長く急な石の階段を上り詰めたそこに社があり、木々に覆われ小鳥の鳴き声が一杯、子どもたちにとって異質の世界である。

子どもたちの到着をにこやかに待つ宮司さんの衣装にも目を張り、自然にピンと張り詰めた空気を感じている。子どもたちはさまざまな体験を通し、神々の守護の元に成長していく。

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出雲を訪ねて 斎宮友の会20周年記念事業

今年で斎宮歴史博物館友の会が誕生して20年の節目を迎え、記念行事に出雲大社と島根県立古代出雲歴史博物館、そして足立美術館と欲張った勉強会の企画がなされた。

期日は平成2291617の両日、参加者65名の旅であった。美術館は東山魁夷特別展で見所一杯。歴史博物館の圧巻は、出雲大社境内遺跡出土の宇豆(うつ)柱である。さらに同館は、358本の銅剣と16本の銅矛、その近くで36個の銅鐸の出土が共に展示され、圧倒された。梅原猛氏は、これらの遺跡等と『出雲風土記』から、「スサノオが弥生時代出雲に王朝を立て、その子孫のオオクニヌシが日本海沿岸から近畿、中四国まで支配したが、やがて大和王朝に引き継がれた」との説を出された(毎日新聞平成2295日記事)。

神話や伝承を頼りに世界各地で多大な成果を上げてきたが、奈良県での最近の発掘と併せ、日本もこれを契機に見直す時代に入るのだろう。出雲と熊野は、大和一族にとって、なんとしても従属或いは国譲りをさせなければならなかった。後者は神武東征で上陸した地、私の生活の拠点三重県は、天照大神の所在する地であり紀伊半島そのもの。専門家でない私にとっても、夢が夢を呼び、今回はその出雲の旅であった。

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宗教教育は倫理と文化の源

教育基本法には、政治と宗教に関しての文言は同じように記されている。昭和22年制定のものも、平成18年の大改定のものも同じである。第14条(政治教育)「1.良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。2.法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれを反対するための政治教育その他政治活動をしてはならない。」。そして、第15条(宗教教育)「1.宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。2.国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教的活動をしてはならない。」である。戦後の教育で、政治教育は行うが、宗教教育は徹底して排除した。倫理、道徳、修身は祖先崇拝も含め本来の心のありようから排除した日本の今がある。その極端な事例の三重県の教育環境である。

日本以外の国で、「私は、信仰としての宗教を持っていません」と言えば如何なる宣言を意味するのかを学校教育で教えない。伊勢神宮が、民衆にとっても、日本の歴史や文化の上で極めて重要で貴重な役割りを果たしていることさえ教えない。さらには、祖先の誰一人が欠けても自分は存在しない貴重な存在との関連からの祖先崇拝も、また、人格形成や社会生活規範となる宗教倫理も、学力や生きる力も総て家庭が責任を持って教えなければならないという三重県の教育事情に対する認識がいることにこの問題はつながっている。

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“津まつり”に園児たち、大満足。

平成211011日の津の祭りに、園児たちが参加した。大川幼稚園の年少児と年中児は“おみこし”を担いで町を練り歩いた。年長児はフェニックス広場で“鼓笛隊”の演奏とパレードに参加した。津西幼稚園の年長児は、津市役所特設舞台で、“よさこい”踊りを披露。見物の大勢の人たちを前に、運動会とはまた違った緊張した面持ちの笑顔に、私でさえ感動した。

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帰宅後、平成11年に国立歴史民俗博物館編で吉川弘文館から出された、『歴博大学院セミナー“民俗学の資料論”』を取り出して読み直した。執筆者の一人の当時歴博助教授福原敏男先生が、「山車を失った都市祭礼―津八幡宮祭礼の戦後―」を執筆されているためである。津市は、戦後、神仏に関わることは教育上よくないと、徹底して避ける歴史を歩んできた。その延長線上に津市の秋祭りはあり、津市当局はそれを当然としてきた。先生は、そこに学問として切り込んでいる。

「“津まつり”=津八幡宮祭礼ではない。という前提から出発する。“津まつり”は零から創造された祭りとは違い、津八幡宮祭礼の系譜をひくものであるが津八幡宮祭礼を改革したものではなく、津市商工会議所などの行政側の主導により、新しく創られた祭礼と捉えたほうがわかりやすい。1968年、祭日が十月十日の前後三日となった“津まつり”は津市民の祭りとして位置づけられ、以降三十年間、現在まで行われている。自治体が介入した時点で、祭政分離、非宗教的な方向が定まった。・・中略・・寄せ集め、統一性のない、市民参加型新興イベントである。・・中略・・宗教色は押さえられているが、九日の夕方、津青年会議所により御神火と市内全神社三八社の幟と提灯の行列があった。特定の神社でなく、市内全神社を集合させるところに津市全域の行事である意思が現れている。・・中略・・京都の祇園祭りや大阪の天神祭りのような、県庁所在地として、都市を代表する顔としての歴史がほしいのである。加えて、観光客を誘致できる、経済効果があるのであればなおのことよい。」

と、示唆している。長年、津市を支援されていた先生ゆえ、あえてこれを取り上げられたのだろう。今の祭りに変化したのはこの図書が出てすぐであった。

祭りを終えて、この図書を取り出し、福原先生に感謝をしている私がいた。

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日本の文化 神仏先祖【2】

【2】日本人の精神文化

 明治維新政府は当時の列強のように、日本を一神教世界にして政教を一体化し、自国の統制と次なる植民地政策を考えた。昭和に入り、軍部はそれを利用し、一方ではABCラインを誘発し、戦争に突入した。戦後、日本は、この歴史の流れの一つ一つを徹底的に紐解きすることなく、総て戦前の教育も社会生活も宗教文化も悪いと聞く耳も口も閉ざした。世界に冠たる日本国憲法も、教育基本法も、世界から見れば理想的なものだが、今日の社会現象が示すように、その運用でずたずたにしてしまった。祖先崇拝と多神教と神仏習合に基づく日本の文化をないがしろにし続けた今ということだと思う。日本人としてのアイデンティティーを築く根拠の部分を再度大切にし、その中で国際人になれる教育の転換が必要ではないだろうか。
 宗教倫理に根ざした道徳性は多面にあるが、これを否定して、道徳教育の時間を作っても、その成果は弱い。小学生から中学生用の副読本4冊を発刊した「心のノート」は、クラークやマザーテレサといったプロテスタンリズムの代表者が掲載されていただけに、日本独特の文化観や倫理観や人生観のベースとなる神仏習合思想と祖先崇拝の元の人物も取り上げたい。


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日本の文化 神仏先祖【1】

【1】三重県:日本文化と宗教観

 三重県はこの60年間、徹底して宗教排除の教育体制をとってきたように思う。斎宮歴史博物館さえも伊勢神宮との関連を直接持たせない徹底振りである。熊野古道の認定も、三重県では伊勢神宮と度会宮と熊野詣の祈願所柳原観音、総ての宗教拠点をはずした。 昨年末、関西6県の150の神社と寺院が神仏霊場会を結成すべく、伊勢神宮に集まった。内宮と外宮は特別参拝とその出発点と位置づけた寺社巡りである。平成21年6月に、第2回目の祈願祭として高野山に集まった。比叡山延暦寺官長が千二百年振りに高野山真言宗官長のところを訪れたとマスコミ各社が報道した。バチカンが世界宗教者会議を呼びかけ、日本では比叡山が中心になってそれなりの歴史を創ってきた。 倫理観の総てでは無いが、倫理の根幹に宗教が根ざすところは大きい。日本から一歩国外に出て「私は無宗教です」といえばそれは何を意味しているか教える必要がある。明治維新以前の循環と共生の多神教と祖先崇拝の日本の宗教を、日本文化の中枢と考えるのは私だけだろうか。


 

 

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