津市が輩出した芸術家“矢守一声”さん
5月23日(月)、愛知県立美術館の主任学芸員で大学講師も務められる石崎尚氏が、三重県の学芸員原舞子氏も誘って陶芸作家矢守一声さんのことで訪問してくださった。郷土三重でもほとんど知られていない矢守さんだが、私はさまざまなご縁もあってかこの方の作品が好きである。我が家に残るものより隣の密蔵院に安置されている素焼きの様な白い観音像に魅力を感じている。
今回の調査に付き添って、十一面観音と思い込んでいたその作品に、1955年の橋北中学校水難事故で亡くなった36人の乙女の冥福を祈る記述があり、驚いた。矢守ご夫妻が住まわれていた借家の持ち主にも何か作品はないか尋ねると、陶器の蟹があったはずとのことでここも訪れた。
私の子どものころの我が家は津駅を見おろす丘の上にあり、矢守家は山路をはさんだ隣とはいえ、崖からいつ落ちてもおかしくない家に住んでみえた。家もご夫妻の雰囲気からも子どもたちはだれもが一歩引いていたが、なぜか私は大事にしてもらった。
その後、中日新聞折込の市内版ミニコミ誌(夕刊新伊勢)に「不思議の家のあるじ様」と題し、矢守氏に関する随想を書いたことがある。東京美術学校(現“東京芸大”)彫刻専科研究科修了…ここで7年間学んだ経歴も素晴らしい。だが私の文章表現の未熟さからだろうが、全く世間の反応はなかった。地元さえ忘れているその方に、愛知と三重の両美術館学芸員が興味をもってくださったことは実に嬉しい。
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