学校法人 大川学園
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お花畑と山岳景観の奥大日岳・大日岳コース

 812日、室堂から1時間ほどのところで温泉があるロッジ立山連峰に宿泊。翌日、新堂乗越の尾根筋に出たところで、前を歩いていた二人組みの「オコジョ、オコジョ」の声。ちょこちょこ急ぎ足で走ってきたオコジョに道をあける。

 昨夜の雨もすっかり上がり、太陽のもと勇壮な剣岳、一方では緑鮮やかな室堂から岩肌の立山連峰を満喫。大日岳コースは、7月中ごろほどのお花畑の連続。雪渓がかなり残っている今年の天候のお陰である。大日小屋は発電で無くランプ。その温かな薄明かりの下で、思いもよらないギタリストの弾き語りは実にに感動をもらえた。

14日、昨夜の雨はあがったので、ガスの中を大日岳に向かう。途中で雷鳥の親子が歓迎。再び小屋に戻った頃から薄日、帰路の尾根筋も湿地帯も花が結構咲いていてくれた。平小屋を過ぎてしばらくした頃からガスが出始め、急な痩せ尾根を下り、ブッシュ帯を抜け大日登山口に着いてしばらくすると小雨に変わる。

今回はデジカメを忘れ、立山駅で昔ながらの「写ルンです」を購入。帰郷して現像にだすが、昔と違った日数がかかると知る。

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国体準備委員会と第6回総会が終わって思うこと

 来年7月に正式に決定がなされると知事からの説明が、そして常若国体イメージソング「未来に輝け」とデモンストレーションスポーツ選定の発表が、731日ホテルグリーンパーク津で行われた。国体は県主導型で準備は着々と進んでいる。振り返れば、50年前の準備も同様で、開催年は全国1位だった。しかし直ぐに30位台、やがて40位台に落ち着いた。今再び1位を目指して向上させている。県民としては今回この機会を利用して、20年後に15位~20位キープにつながる国体準備であってほしいと願う。

100㍍で県下1位を2年とか3年連続で取る実績を上げている小学生の民間陸上クラブに聞いたところ、県からの奨励資金援助は無いとのことであった。県に資金が無いなら、毎年開催される小学生陸上競技の県大会で優勝・準優勝したとき、これをマスコミまかせでなく、公に幾種かで称える機会があってよいように思う。国体準備委員会組織がある今、小学校5年生から高校を終わるまでの県下123位、全国なら20位までの情報は入るはず。これを“県政だよりみえでなく新聞各社の三重版で年4回程1頁確保し、「大会名・競技分野・順位・氏名・顔写真・学校名・所属クラブ名」等の公表制度を確立出来ないのだろうか。モチベーションを高め、持続させることは小学生時代からの励ましの連続性だと思うゆえである。小学生アスリートを高校卒業まで、県民挙げて形をもってまずは支援し続けてあげたい。結果、10年後の三重県の競技スポーツ振興が求められ、しいては常に20年後につながるはずである。何事も企画は県主導型三重県ゆえかなわぬ…夢かな。

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御霊祭り

 723日、津駅西口の三重県護国神社において「万灯みたま祭」が開催された。7千余灯の赤や黄色の提灯が境内の周りに幾段にも飾られ、英霊に対する感謝の祭りである。鳥居近くの入場歓迎の大きな行灯の表裏の絵は、大川幼稚園と津西幼稚園園児たち担当で描いたものである。境内の中央には舞台が組まれ、盆踊りが行われる。

1830分から宮司さん他の禰宜の皆さんによる神祇が始まり、私はここに参列させてもらった。御祓いに始まり、詔が延べられ、幾度もの柏手。儀式が終わり、点灯。ここで賑やかな雰囲気に場面は一変する。津々浦々に境内に集まった人たちは、点灯行事が終わると賑やかな音楽と太鼓にあわせての盆踊りに参加である。ことに子ども達は笑顔一杯である。

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坂口登山フェスティバル

 15回目になったフェスタに今回も田中・西田両氏と3人で参加した。全日本と重なっていたので1週間遅らせての実施だったが、来賓や講師を含め91名の参加であった。しかしながら大雨も度を越し、JR大糸線が不通になるほどの降りであった。残雪の山々も高山植物もお預け。私は元気な皆さんと行動を共にしたいが不能ゆえ、皆さんとざわざわとしているだけで満足。前夜祭からご一緒の今井道子さんの講演が予定の白馬大池から八方池山荘に変更になったが、収容人数の関係から三重県組は白馬村で温泉に浸かるほうに回る。

 前夜祭では何時もながら長野県の皆さんの趣向を凝らしたおもてなしである。90歳になられた主宰者の坂口三郎先生、日本高所登山医学会顧問中嶋道郎先生。厳冬のマッキンリー18回の大蔵喜福隊長、今回はそこにアイガーやグランドジョラス北壁で知られる医師の今井道子先生が揃われ、我々3人とのスナップ撮影。山の写真は無いがこれをブログに掲載。

さて、最終日のお別れ会は例の如く神谷女史のキーボードでの歌声喫茶、我々は15回のお祝いにマジックで参加させてもらった。今回も楽しい40歳代から90歳代の異年齢同窓会であった。

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トゥール・ドールのランチ

平成29629日、旧久居市のJA三重中央の建物敷地内左側にある洋食屋さんを訪れた。

瀬棚オーナーシェフは津氷彫会のメンバーで、調理師養成専門学校で毎年展示用氷細工を教え、夏場はホテルでも引っ張りだこである。1130分に訪れると、ほとんどのテーブルが詰まっていて、2人用が空いていたのでそこに席をとった。

この週のAランチはカニクリームコロッケ800円、学園の秘書はこれがお勧めであった。Bランチは焼きチキンと焼き魚に海老フライとサラダ添え1200円、Cランチはビーフカツレツ2000円で、私はBが気になりこれを注文した。スープとサラダとライス、そして追加料金300円でコーヒーか紅茶までついてくるとのことで驚いた。焼いた鶏肉や魚の皮側のパリパリにも、そして柔らかな身側にもソースが実に合ったもので満足、満足であった。次はディナーコースを食べたいと期待させてもらえるレストランであった。

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三重大学での久々の講義

621日、三重大学で1640分から90分授業を担当した。今回は、“日本理解特殊講義:三重の歴史と文化”のゲストスピーカーで「三重の食文化」との題をもらった。三重大学での講義は、人文学部のち生物資源学部で延べ19年間続いたが、この5年間は空いていた。久しぶりに訪れると、歩道も教室も随分明るく、機器も揃って、学びの殿堂環境を良くしていた。

担当の永野聡先生の巾の広さからだろう、聴講生は24名だが他大学からも参加していたようである。私は、律令からの四つの風土の違いによる国分け、鎌倉文化の成熟と簡略の伝播と東西混淆文化、太古からの伊勢神宮詣でによる情報の集積地、自然界の北限と南限の重なった地、こうした中で育まれた質素だが豊かな三重の特殊で面白い姿を、普通の人々の大正時代から昭和初期の食生活から少しでも伝えたいとの思いで映像を使って語らせてもらった。彼ら彼女らが今日の講義を聴講して、どのように三重を捉え、何に興味や関心を抱き、何に疑問を持ってくれただろうかと思いつつ帰路に就いた。

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ジャガイモ掘りとザリガニ釣り

 614日、大川幼稚園と津西幼稚園共に安濃の畑にジャガイモ掘りに出かけた。年長児になってのこの時期の行事である。

株には小芋がころころ付いて、13個とれたとか15個あったと、大はしゃぎである。ジャガイモの隣には、1ヶ月前に年長児が全園児分のさつま芋の苗を植えたが、そこに雑草が伸びている。ジャガイモを掘り終わったあとはその草取りに汗を流す。

その後、園児たちの里山“かぜのもりオズ”まで歩き、ザリガニ釣りと山遊びの二手に分かれる。ザリガニ釣りは、今回も全員が1匹以上を釣り上げるまで行なう。小さいものは再び池にもどす。ザリガニを翌日のスケッチの材料とするための釣り大会である。

天候もよく、初めから最後まで全員興奮で、お昼を随分回って園での給食の時間も話の絶えない園児たちであった。

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鎌ヶ岳から御在所岳そして裏道

 611日、天候もまずまずで、おむすび3個と卵焼きをザックに入れ、鈴鹿山系に出かけた。鎌ヶ岳の登りで、幾分遠いがカッコウの鳴き声が聞こえ、奥高野の山で時々迎えてくれたことを思い出す。山は緑の深みを幾分増し、そこに時折ドウダンツツジだろうか真っ赤な可愛い花が残って、実にさわやか。

何時も30年前の実に重い革の山靴2足を交互に履いて登山をしてきたのだが、加齢での体調の弱体をカバーするに求めた春の雪山も対応する軽量山靴の、その足慣らし登山である。ザックも48㍑だが一番軽いものに変更して背負ってきた。共に科学の進歩を体感する装備で、感心しつつ鎌ヶ岳から引き返し、御在所岳に向かった。太陽も顔を出しさわやかな風と心地よい気温ゆえ山頂レストハウス前の広場でゆったり時間を取り、ひと眠り後、裏道を下山した。

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久々の高野山

 529日、高野山大学同窓会の役員会と総会が開かれることから久し振りに高野山を訪れた。総会後の懇親会では特別ゲストとして西野亮廣さんの講演があった。芸能活動の傍ら『えんとつ町のプぺル』を著した絵本に懸けた思いとその実行の話を聴かせてもらった。幼少期からの思いに始まり、絵本をコンサートと同じように参加型にし、原画展示会の企画を誰にでも無料で貸し出し、絵も物語も著作権も無し、云々で結果、絵本だが脅威の30万部の読者をつかんだ。その出発点からの発想と実行の仕方に一つひとつ驚きとうなずきで聴き入ってしまった。

在学生の参加もあり、彼らへの刺激は私の幾倍ものものがあったようだ。講師を交えての懇親会は3年前と違って学生諸氏が実に明るく、私の話し掛けにも積極的になって入ってきてくれ、中盤頃には講師を交えて車座になっての議論と・・実に嬉しい姿がみられた。

夜は私が高校時代にお世話になった釈迦文院に泊まらせていただき、朝の勤行で両親の供養もしていただいた。昼前に入って翌朝に下山と慌しい中であったが、充実した時が過ごせた。

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鈴鹿の山の炭焼き

三重県山岳連盟の自然保護委員会による「里山の整備と利用を考える“炭焼きを体験”」が開かれた。『鈴鹿山系の伝承と歴史』を執筆した時、山と関わる古老からの聞き書きをしなかったことも有り、友人を誘って参加した。

講師は、朝明茶屋の奥井益夫さん。菰野町千種には、今は専業の方は一人だが、戦後間もない頃百軒ほどが焼いていたという。この地域は「カシスミ」で、根の平峠からは伊勢谷へケーブルで下ろしていたという。一方で、杉峠東に鉱山跡があるが、明治時代にそこの精錬用の炭も焼いていたという。当時の写真を見ると、小学校の分校もあり、その搬場の大きさに驚く。

今回使用の窯は、35年前、川越町や朝日町の小学生の為に34日の合宿が組まれたときに、キャンプ場内に復活させたものが使われた。馬のヒズメ型の窯で、4日火入れし、5百度まで上げる。その後密封して5日ほど冷まし、35度になった状態での口開けからの体験である、山での木の切り方、木の残し方、窯内への木の並べ方、火の回し方、口の閉め方と細かな説明。陶芸の登り窯と似ている。最後に、釜から炭を出し、8㌢ほどに切る作業で、真っ黒になる。

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