学校法人 大川学園
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白馬岳を眺める旅

 

令和元年8月10日から14日まで、栂池から入り白馬大池経由で白馬岳、その後大雪渓を降って白馬温泉に浸かろうと、出発10日前にJRも山小屋も予約した。だが3日前になって、登山に対しドクターストップがかかった。7月28日のサイクリングで、自らの身体をわきまえず幾分にも無理をしすぎた結果のようだ。一瞬迷ったが、栂池の“丘の上ホテル宮川”で2泊がとれたので、最終の“白馬ロイヤル”を2泊とし出掛けた。

天候に恵まれ、栂池ゴンドラで標高1,829㍍まで上がり、自然公園を散策した。いつもは登山の出発点ゆえ横目で見て知ってはいたが、歩いてみてスケールの大きさに驚いた。浮島湿原近くの銀命水で冷たい沢水を飲んで、途中だが引き返した。高低差はあまり無いが4㎞ほどで、山歩き気分は満喫できた。

白馬に移って、ここではチェックアウトが10時と聞き、最終日に荷物を預けて9時半にホテルを出、ゴンドラとリフトで標高1,850㍍の八方池山荘まで上がった。時間がかなり余っていたため、標高2,035㍍の八方ケルンを経て八方池まで、片道1.3㎞ほどをゆったり散策した。標高の高い白馬の山々はガスで隠れていたが、一瞬、白馬鑓の穂先が顔を出してくれた。ゴンドラを降り、帰りに諏訪神社近くの蕎麦屋に立ち寄った。“むらかみ”だったか、列車で帰る直前になんとも美味しいそばにありつけた。

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津市の水難事故を著した『死の海』を出版

昭和30年7月、津市内の中学生が水泳の授業中に海で36人亡くなるという事件が起きた。10年近く前に我々当時の中学2年生の手で、50回忌を現場となった津市中河原海岸で催した。事件の貴重な資料は、不思議なことに津市教育委員会にも三教組津支部にも残っていない。

『死の海』の著者は大川幼稚園でPTA副会長、翌年に会長をしていただいた後藤宏行氏である。かつて童話作家の松谷みよ子(1925~2015)が『現代民話考5 死の知らせ・あの世へ行った話』に、この事件を津の海の怪談話として発表し、オカルト話として全国に流布してしまった。

10年ほど前に事件の話を聞きたいと、後藤氏から申し出があった。当時それほどご縁は深くなく、しかも日本を代表するオカルト誌『ムー』掲載の取材とあって、理由も述べて固くお断りした。ご縁が出来て再度取材依頼があったが、これは柔らかくお断りした。

同級生の1人の女性が同窓会打ち合わせで集まった時、NHKBSプレミアムで水難事故の問題の怪談話の真相を取り上げたと(後藤氏も番組に関わった)、これを随分高く評価した。後藤氏から真相解明の経過を散歩の途中だがお会いする度に聞いていたこと、また仲間の話もあり、1年少し前だったか三度目の取材申込みに応じた。そしてこれまで私が収集したり、友と勉強会を開いて得た資料もお見せした。以来1年、よくぞ調べられたと敬意を払う作品となって世に出た。

津市立橋北中学校水難事故を題材としたこの『死の海 中河原海岸水難事故の真相と漂泊の亡霊たち』(後藤宏行著・洋泉社・令和元年8月発刊)は383ページに及ぶ著書である。私の実名登場の箇所は、その私に私なら距離をとりたいと思う。しかし、この出版にはその内容から感謝、感謝で、早速書店に10冊注文した。

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サイクリング団体企画に初めての参加

7月28日(日)に開催された「津市民レクリエーション祭“津市民サイクリング”」に参加した。自動車の運転が出来ない私は、家から会場まで自転車で出かけなければならないので、この種の団体企画には初めての参加である。

朝8時10分に家を出て、会場の津市安濃総合支所に8時45分到着。32名の参加だと聞く。アスリートの方だけでなく、子ども達も幾人かいてほっとする。

 出発すると足慣らしの為だろう、最初のポイントは5キロ先で日本最初の国語辞典『和訓の栞』を作成した谷川士清宅。これより国道23号線に沿う旧参宮街道を経、江戸橋から三重大学裏に出、海辺道路を白塚港辺りから西に国道を横切って河芸の本城山青少年公園にある禅宗の円光寺。ここで昼食と長時間休憩。

 午後は中勢グリーンパークのある安濃津台を横切って伊勢別街道に出、さらに出発点に向かう。伊勢自動車道を潜ったあと亀山安濃線に出るつもりが、幾分南の中勢ゴム会社のところに出、曽根橋を通って集合地点にたどり着く。

家に帰って地図を開くと、ほぼ50キロコースで、私には幾分ハードであった。到着登録をと思いつつ何故かボーッと受付が見付けられず、集合地点前の安濃温泉入り口の木陰で20分ほど体調を整えてから、湯に浸って汗を流した。関町か松阪市の片道20キロ圏内往復をしている私には、天候のこともあるだろうが、プラスの10キロ、これがオーバーワークと悟ったサイクリングだった。

私と年齢的に変わらないのにお元気な方が見えた中で、主催者にはご迷惑をお掛けした。

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全国から坂口フェスに集う

 

 第17回坂口フェスティバルが7月12日~14日、信州上田市の菅平高原を中心に開かれた。私は2日目“ダボスの丘トレッキングコース”を選んだ。スイスのダボスと姉妹都市提携から名付けられたそうだが、元々牧場跡で花の種類の多い丘である。前日の勉強会講師の“やまぼうし自然学校”代表の加々美喜代さんがトレッキングリーダーも担当された。人間も動物なので自然から受ける感性は云々・・そして、経済学者のヘッグマン博士が提唱された「非認知能力」を養うのに自然界遊びが最適と語られた講師である。最終日は雨のため、皆さんに迷惑をかける可能性があるので、禅宗安楽寺での座禅の後、信州の鎌倉の異名のある塩田平観光に変更させてもらった。

真言宗智山派の前山寺、同中禅寺とその中間の神社にも樹齢500年とか800年のものが育ち、当然、建物も境内全体にその風格は訪問を充分満足させてくれた。最後に訪れた御柱祭のある生島足島神社では、赤子や幼子を伴った家族が幾組も訪れ、子孫繁栄の地域信仰の拠点を肌で感じることが出来た。信仰心が幾ら強いと言っても、人口の少ないこの地域で何故これらの寺社保存が可能であったか地元の案内人にたずねた。

 さてさて、今回の企画も、事務局長野県の限りないもてなしの凄さで、初日の参加者選抜の真田十勇士の衣装も持ち物も全て手作りでと、年々の進化には感動を越える。この紙面を借りて、何事にも配慮有る事務局の方々に深くお礼を申し上げる次第である。

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6回目の中学校同窓会

令和元年6月30日、津市橋北中学校第9期卒業生の第6回同窓会を都シティ津で開催した。実に55名が集まってくれた。出席率は同期生の25.3%で、78歳だが元気な人たちが多いといえる。津市在住者は50.9%で、県外からの参加者は16名で29.1%が駆けつけてくれたのだから嬉しい。

私たちが中学2年生のとき、橋北中学校水難事件といって、学校行事の水泳で36人が亡くなった。事件が起きて半年後、3年生になった時、多感な私たちの置かれた環境は一変し、全員の先生が入れかわった。そうした中での青年前期ゆえ、仲間意識は強く、時として会いたくなる。第1回目の同窓会は、慰霊の23回忌を催した翌年で、以来、今回で第6回目となる。

13時に記念写真を撮り、同級生の現役ソプラノ歌手の披露から始まり、16時まで賑やかで楽しい宴となった。場所を隣の部屋に移した二次会には、30幾人かの参加があり、17時30分まで続いた。とにかく何処にそんなに話すネタが沸いてくるのか判らないが、語りに語り合った。

来年は数えで傘寿、次の開催は何時?と幾人かに問われても、5年後とか10年後を言えない年齢になった。

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私たちのふるさとの山、経ヶ峰に集う

 

 6月22日、上記の見出しの呼びかけに、賛同した山仲間が山頂小屋に集合した。鈴鹿山岳会の仲間27人(写真左)は笹子ルート経由で登ってきてくれた。津ラ・ネージュ山岳会は穴倉ルート、三重かもしかクラブは細野ルート、経ヶ峰を愛する会は平尾ルートで、総計72名(写真右)となった。目的は、津市内の多くの小中学校に限らず高等学校でも校歌に歌われているこの山、子どもたちはこの山を眺めて大きくなった。ここに高さ150㍍(青山高原は100㍍もの)の風車設置企画が突然出て、故郷の山の景観を壊すことに危機感を覚えて集まったのだ。

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 最初の呼びかけ人は、この山に80回ほど登っている地元の方である。山頂山小屋前で行われた説明では、昨年9月に役場で風車の話を聞いたことに端を発したとのこと。アメリカ資本のJFE関連会社が、グリーンパワーインベストメントと言う企業を経てこの山の500㍍以上のところに、高さ150㍍の風車24基の設置を計画しているとのこと。住民への説明会は、1時間企業が話し、1時間質問の時間を設けて打ち切ったとのこと。撤回要望書の署名は、市長と知事に提出した5月18日現在で12,672名とのこと。今も署名名簿が届くと言う。風車に反対でなく、心の故郷としての景観保全の環境問題である。雨上がりで、緑が映える樹林、カッコウと鶯、他の小鳥たちが鳴く中で、発起人の説明を聞いた。

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橋南中学校で職業講話

 

 6月20日、津市内上記の中学2年生の職業講話に、津南ロータリークラブから8人が授業担当で訪問した。私は、「幼児の保育と教育」のタイトルだが、「薬剤師の仕事」「石油の話」「料理について」「“つながる”仕事」「ピーナッツの話」「今後10年後の社会を考えよう」「管工事とは何か」と多彩である。

 学校からの要望に沿って、自己紹介に職業紹介と自身の中学時代を含む話からはじめた。“今の職業に就く”では、毎日元気で好奇心・感性・創造性・意欲溢れる子たちとの出会いと、社会人に成ったときに必要な非認知能力や能動的環境を組み込む工夫への楽しさを紹介した。そして一人ひとりの人生の重要な時期に関わる怖さも伝えたかった。“中学生に話しておきたいこと”では、「今一瞬一瞬の積み重ねが一生なる」ことと「大器晩成よい」と、焦らず自分のペースで諦めずに10年20年とかけて、確実に自分を信じて自分ものとして自分を高める努力をお願いした。

 13歳の今、77歳の私の時間までの膨大さを語らせてもらった。質問も考えてあったようで、5人が手を上げてくれた。

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20年続いたみえ食文化研究会

 

 6月1日をもって20年の歩みを閉じることになった“みえ食文化研究会”。平成10年に県文化課の要請で、三重大学の成田美代教授と私が発起人となって“みえ食文化懇話会”を立ち上げた。但し3年後には独立させる前提とし、翌年に三重県庁舎1階の一室で、40名の会員と事務局の県職2名、そして成田教授が会長、私が運営委員長となっての44名で現在の名称で発会総会を開催した。

 志摩地方の古老による伝統食体験に始まり、民俗調査方法の学習会、紀伊長島地区での鯔や鰹を使った勉強会と料理講習提供、宮川源流域の古老からの昭和30年代の食生活の聞き書きでの資料作り、一方で滋賀食文化研究会と行き来の交流、県内や関西地区在住の食文化研究家訪問と食べ歩きが続いた。成田会長と20年に至る代々の運営委員の皆さんの情熱、そこに辻上・別所という2人の県職が20年の歳月を幹事として支えてくださった。最後の会食で27人一人ひとりの熱と情のこもった振り返りの言葉に、この組織を作り継続した甲斐を感じさせてもらって嬉しかった。

従来方式の会は解散はするが、“みえ食文化研究会”の名称は日本調理科学会東海北陸地区会長をされてみえる三重大学の磯部教授に継承してもらうことになった。時代に即した再出発は有りがたいことである。

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ゴミゼロ奉仕例会

 

5月25日、日曜日だがロータリークラブで恒例の津海岸(阿漕浦)にある「友愛の庭」と名付けた一角の清掃デーである。朝7時45分に現場に到着した。

8時集合だが、既にほぼ全員の顔が揃い、清掃完了状態で片付いていた。2週間前にサイクリングで訪れた時には私の背丈ほどの雑草と蔦が絡み合っていたが、1週間ほど前に社会奉仕委員会と有志の方で草刈り機を使い下仕事をしていただいていたようで、雑草は既に乾いて横たわっていた。それにしても我がロータリーは朝に強い人が多い。三重テレビとZTV、そして伊勢新聞社が取材に来ていて、この人たちも朝に強いようだ。8時10分頃に清掃を切り上げ、ヨットハーバーの海洋会館に移動して例会と朝食だが、8時40分まで朝食のサンドウィッチが届かずこれを待って例会開始となった。

窓から海を眺めると、477のヨットだろうかかなりの数が沖に向かって出航している。5月というのに、今日も青空で30度超えのようだ。

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静慈圓喜寿書画展

 

5月8日から11日まで、毎日新聞大阪本社ビル地下1階にある“オーバルホール”で表記の書画展が開催されている。静僧正は弘法大師空海研究者で在り、中国という漢字文化圏の中で「書道」をもって活躍されている。例えば、中国政府と西冷印社が認め、王義之の墓塔横に静僧正の「弘法大師空海越州碑縁起」を刻んだ石碑が建立されていることから海外でも知られる書家である。

今般、中国哲学学科と仏教学科の違いはあるが、高野山大学の同級生である静僧正の法印成満祝賀会が併せて同日8日に“リーガロイヤルホテル大阪”で開かれるとあって共に参加した。

書画展には、書のみならず、種字両部曼荼羅や仏画も多く、僧正によれば「この展覧会で立体曼荼羅を表現させてもらおうとした」とのことである。多義にわたる大作群に圧倒されながらゆっくり拝見させてもらい、宴の会場に移動した。夕方から始まった宴では、多くの同級生や知人にも久々に出会え、楽しいひと時をもたせてもらった。

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