学校法人 大川学園
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三重大学での久々の講義

621日、三重大学で1640分から90分授業を担当した。今回は、“日本理解特殊講義:三重の歴史と文化”のゲストスピーカーで「三重の食文化」との題をもらった。三重大学での講義は、人文学部のち生物資源学部で延べ19年間続いたが、この5年間は空いていた。久しぶりに訪れると、歩道も教室も随分明るく、機器も揃って、学びの殿堂環境を良くしていた。

担当の永野聡先生の巾の広さからだろう、聴講生は24名だが他大学からも参加していたようである。私は、律令からの四つの風土の違いによる国分け、鎌倉文化の成熟と簡略の伝播と東西混淆文化、太古からの伊勢神宮詣でによる情報の集積地、自然界の北限と南限の重なった地、こうした中で育まれた質素だが豊かな三重の特殊で面白い姿を、普通の人々の大正時代から昭和初期の食生活から少しでも伝えたいとの思いで映像を使って語らせてもらった。彼ら彼女らが今日の講義を聴講して、どのように三重を捉え、何に興味や関心を抱き、何に疑問を持ってくれただろうかと思いつつ帰路に就いた。

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ジャガイモ掘りとザリガニ釣り

 614日、大川幼稚園と津西幼稚園共に安濃の畑にジャガイモ掘りに出かけた。年長児になってのこの時期の行事である。

株には小芋がころころ付いて、13個とれたとか15個あったと、大はしゃぎである。ジャガイモの隣には、1ヶ月前に年長児が全園児分のさつま芋の苗を植えたが、そこに雑草が伸びている。ジャガイモを掘り終わったあとはその草取りに汗を流す。

その後、園児たちの里山“かぜのもりオズ”まで歩き、ザリガニ釣りと山遊びの二手に分かれる。ザリガニ釣りは、今回も全員が1匹以上を釣り上げるまで行なう。小さいものは再び池にもどす。ザリガニを翌日のスケッチの材料とするための釣り大会である。

天候もよく、初めから最後まで全員興奮で、お昼を随分回って園での給食の時間も話の絶えない園児たちであった。

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鎌ヶ岳から御在所岳そして裏道

 611日、天候もまずまずで、おむすび3個と卵焼きをザックに入れ、鈴鹿山系に出かけた。鎌ヶ岳の登りで、幾分遠いがカッコウの鳴き声が聞こえ、奥高野の山で時々迎えてくれたことを思い出す。山は緑の深みを幾分増し、そこに時折ドウダンツツジだろうか真っ赤な可愛い花が残って、実にさわやか。

何時も30年前の実に重い革の山靴2足を交互に履いて登山をしてきたのだが、加齢での体調の弱体をカバーするに求めた春の雪山も対応する軽量山靴の、その足慣らし登山である。ザックも48㍑だが一番軽いものに変更して背負ってきた。共に科学の進歩を体感する装備で、感心しつつ鎌ヶ岳から引き返し、御在所岳に向かった。太陽も顔を出しさわやかな風と心地よい気温ゆえ山頂レストハウス前の広場でゆったり時間を取り、ひと眠り後、裏道を下山した。

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久々の高野山

 529日、高野山大学同窓会の役員会と総会が開かれることから久し振りに高野山を訪れた。総会後の懇親会では特別ゲストとして西野亮廣さんの講演があった。芸能活動の傍ら『えんとつ町のプぺル』を著した絵本に懸けた思いとその実行の話を聴かせてもらった。幼少期からの思いに始まり、絵本をコンサートと同じように参加型にし、原画展示会の企画を誰にでも無料で貸し出し、絵も物語も著作権も無し、云々で結果、絵本だが脅威の30万部の読者をつかんだ。その出発点からの発想と実行の仕方に一つひとつ驚きとうなずきで聴き入ってしまった。

在学生の参加もあり、彼らへの刺激は私の幾倍ものものがあったようだ。講師を交えての懇親会は3年前と違って学生諸氏が実に明るく、私の話し掛けにも積極的になって入ってきてくれ、中盤頃には講師を交えて車座になっての議論と・・実に嬉しい姿がみられた。

夜は私が高校時代にお世話になった釈迦文院に泊まらせていただき、朝の勤行で両親の供養もしていただいた。昼前に入って翌朝に下山と慌しい中であったが、充実した時が過ごせた。

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鈴鹿の山の炭焼き

三重県山岳連盟の自然保護委員会による「里山の整備と利用を考える“炭焼きを体験”」が開かれた。『鈴鹿山系の伝承と歴史』を執筆した時、山と関わる古老からの聞き書きをしなかったことも有り、友人を誘って参加した。

講師は、朝明茶屋の奥井益夫さん。菰野町千種には、今は専業の方は一人だが、戦後間もない頃百軒ほどが焼いていたという。この地域は「カシスミ」で、根の平峠からは伊勢谷へケーブルで下ろしていたという。一方で、杉峠東に鉱山跡があるが、明治時代にそこの精錬用の炭も焼いていたという。当時の写真を見ると、小学校の分校もあり、その搬場の大きさに驚く。

今回使用の窯は、35年前、川越町や朝日町の小学生の為に34日の合宿が組まれたときに、キャンプ場内に復活させたものが使われた。馬のヒズメ型の窯で、4日火入れし、5百度まで上げる。その後密封して5日ほど冷まし、35度になった状態での口開けからの体験である、山での木の切り方、木の残し方、窯内への木の並べ方、火の回し方、口の閉め方と細かな説明。陶芸の登り窯と似ている。最後に、釜から炭を出し、8㌢ほどに切る作業で、真っ黒になる。

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今年も涸沢で穂高連峰を!

 昨春は燕岳だったが、今年は穂高連峰が眺めたくて涸沢を計画。平成2953日嘉門次小屋で泊まり、名物炭焼き岩魚を含む食事。翌朝も天候は良し、途中、かわいい小猿を伴った猿一族と出会う。屏風岩を超え本谷出会い手前で、大規模な雪崩の響きを2度耳にする。雪の多さと気温の上昇からだ。涸沢ヒュッテに到着してコースタイムを計算すると、一般の1.6倍を要していた。加齢以上に体調管理の悪さと運動不足が正直に現れる。

ヒュッテ利用者が今年は異常に多く、1枚の布団に2人のスペースと指示される。仮眠状態で朝を迎え、外に出ると、冷気と雪の涸沢カールの上にそびえる峰々に陽が輝き、気が入る。朝食後再び外に出ると奥穂コルへのあずき沢も、北穂へも多くの人々が登っていく。山々と人の動きを眺めながらコーヒーを楽しんだのち下山。帰路は温泉で汗を流す・・これぞ大満足の山行きとなった。

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全国お菓子博に調理生が出展

 「第27回全国菓子大博覧会・三重 お伊勢さん菓子博2017」が、514日までの日程で三重県営サンアリーナにて開催されている。来場者はすでに40万人を超えた盛況振りである。今般は、伊勢新聞シニアクラブを引き受けている関係で、会員の郷土勉強会の一環として訪れた。メーン会場を入った直ぐに、我が大川学園“三重調理専門学校生”の松阪肉や伊勢豚、熊野地鶏を使ったすき焼きを表現した展示がされている。野菜や器を含めた総てをお菓子で表現したものである。調理師の免許と共に製菓衛生師の資格も取るコースゆえの出展だが、メーン会場の最初の打ち出しポイントに設定していただけたことに感謝である。この3月に卒業した調理学科2年生が考案し試作を重ねたものを、新2年生が出品作品に仕上げたものである。皆さんが熱心に眺め、「凄い」との言葉が耳にでき実に感激してその方の顔を見てしまう。しかし、連休明けというのに、人、人である。

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カモシカ特集の県総合博物館(MieMuみえむ)

 “きて・みて・さわって カモシカ☆パラダイス”と題した展示会が平成29415日から三重県総合博物館で開催されている。2007年に閉鎖された御在所岳山頂にあった世界唯一の“日本カモシカセンター”の貴重な資料は標本も含め県総合博物館に寄贈され、これをベースに全国の博物館等の協力を得ての企画展である。内覧会での館長挨拶の「観光と科学を融合するセンターの役割」にそれが良く現れている。

今回の企画担当田村学芸委員の説明を聞きながら会場を回った。ふと、作家の故立松和平氏を御在所岳に案内したとき、湯ノ山温泉を出て暫くの山中で出会ったカモシカのことを思い出す。月刊登山専門誌『岳人』に連載の「日本百霊山」の頁に、その時のカモシカを載せてもらった。

さて、今回の企画展には、多種な剥製や骨格、歯で作った古代の装飾の垂飾、そして歴史書等の文献、子ども達用の遊んで知るコーナーもあり、幅広い層に興味が持ってもらえる企画となっていた。

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桜とツツジと石楠花が開花

 津西幼稚園に412日に出向くと、開花の遅れた桜が春爛漫と迎えてくれた。運動場の東にある“ぼくらのお山”に掛かる長い滑り台脇横の林には、赤紫色のツツジがあでやかに咲いていた。その近くに、昨年植えた石楠花があるのだが、幾つものピンク色の花を少し遠慮気味に咲かせていた。実は、桜の花のあとのツツジそして石楠花と、時期を少しずつずらせての開花を想像して植えたものである。自然のものはそこが難しい。

一方で、石楠花の移植が難しいものと知らず、目的の地を綺麗に整備し、5年物の苗木を3本植えた。園児たちに、山間に多い日本石楠花を見せようと思って植えたことを、日本石楠花学会会長の志田氏に自慢げに話した。そして場所を見てもらったところ、場所が悪くここでは3~4年後には枯れるであろうとの助言を受けた。その関係で1本遅れて入ってきた石楠花を、山の西側斜面のツツジの近くに植えた。最初の3本は、花が咲いたのちに再度山側に移植することにした。

それはともかくとして、三種の日本の花が、今、津西幼稚園では花盛りで、園児たちはその傍で遊ぶ環境となっている。志田氏のお宅で育てている石楠花の鉢を幾つかお借りして、子ども達が日々遊ぶ運動場の一角に暫く置くことになった。これは5月には開花するだろう。子ども達の反応が楽しみである。

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三重県山岳連盟総会で思う

 48日、大川学園5階ホールで、三重県山岳連盟の代議員制での総会が開かれた。理事長の挨拶の後、登山部門の県高体連会長挨拶が組み込まれていた。「平成29年度の冬山訓練は中止し、その翌年度からについてはその後検討する」との報告があった。報道では高体連は、今後冬山訓練は禁止と出ていた。公務員中心の高体連ゆえ制限はあるが、栃木県那須町の検証も出ない今その決定はおかしいと私は思っていた。

 私が中学2年の時、学校行事である津の海岸での水泳授業において、46人を亡くした橋北中学校水難事件に出会った。50回忌の節目に、津市に法要をするのか訪ねたが“企画なし”の返答であった。時の2年生の私たちで50回忌を実施、200名以上のお参りがあった。問題なのは、旧津市内の小中学校で、海水浴は言うに及ばず海での行事はここ60幾年間一切組まれなかったことである。海と山と川と田に囲まれた旧津市、危険と安全面のみならず、郷土教育の生きた体験は「危険なこと」と蓋をして何も伝えられない。同様に、登山でも危険と安全の生き体験を受けさせない危険を感じる。

大人になって登山を趣味にした人々の事例で、昨年度、県内の山々で行方不明になり、捜索に県岳連の人々が46回以上出動している。高校も含め県岳連加盟者ではない人々である。また、私が高校で教鞭を取っていた昭和40年代、私は登山部員に冬山を教えなかった。しかし彼らが社会人山岳会を結成し、私が会長になって初めて“高校時代に内緒で冬山に入っていた”ことを知った。これほどの危険はない。自然の魅力は、達成感ではなく登山のその経過にあり、危険と安全や、人間関係や、感性や情緒をはじめさまざまな生きた学びの環境があるからその深みにのめりこむ。冒険とか探検と登山はまた違う。

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